新発田城は、戦国時代この地の新発田重家が本拠地としていた旧新発田館跡に、慶長3年(1598年)に加賀国大聖寺から移封された溝口秀勝によって築かれた。完成したのは、築城開始から56年後の承応3年(1654年)。
新発田川の水を巡らせた平城で、本丸、二の丸、三の丸からなり、堀や石垣に囲まれ、11棟の櫓と5棟の門が並んでいた。江戸時代には新発田藩の藩庁が置かれていた。
城郭構造は平城。城跡には本丸南側の石垣と堀が残っている。
当初の天守は、承応3年(1654年)、事実上の天守として創建された複合式層塔型三重三階(三階櫓)。寛文8年(1668年)の火災により焼失、延宝7年(1679年)に再建された。 ていたが、明治政府の廃城令により破却されてしまった。現在の三階櫓は平成16年(2004年)に辰巳櫓とともに木造復元された。
現在の天守(三階櫓)は、平成16年(2004年)、木造復元された。
現存建造物は、本丸表門と二の丸隅櫓の2棟、それぞれ国の重要文化財に指定されている(城跡に現存建造物があるのは新潟県内では唯一)。
再建建造物は、三階櫓と辰巳櫓の2棟、それぞれ木造復元された。
別名は菖蒲城(あやめじょう)、本丸が船の形をしているので舟形城(ふながたじょう)など。
明治政府の廃城令で陸軍の部隊が置かれ、建造物はほとんどが取り壊された。現在は本丸の一部を除く全域と古丸全域、二の丸の一部が自衛隊駐屯地になっている。自衛隊駐屯地内にある三階櫓は一般公開されていない。戦国自衛隊の城という愛称で呼ばれることが増えている。
新発田城周辺は新発田城址公園として整備され、市民の憩いの場となっている。日本の歴史公園100選に選定されている。
平成18年(2006年)には日本100名城に選定された。