
定方寺(じょうほうじ)
境国山と号す曹洞宗の寺院、本尊は釈迦如来像。慶長15年(1610年)、現在地より東側に下がった境川沿いに創建されましたが、たびかさなる水害のため、元禄3年(1690年)ごろに現在地へ移転したと伝えられます。江戸時代末に開いた寺子屋は、明治20年(1887年)の公立公所学校の創立まで続きました。戦時下の昭和19年(1944年)から始まった学童集団疎開に際しては、境内の寮に18名の学童を受け入れました。 境内には檀信徒戦没者の鎮魂供養と世界恒久平和を祈念して平和聖観音が建立されています。

観音寺(かんのんじ)
鶴間山東照院と号す真言宗の寺院、本尊は十一面観音菩薩(秘仏で12年に一度、卯年の4月に開帳)です。創建は天文年間(1532~1556年)と推定されています。厨子と木造地蔵菩薩半跏像は大和市の重要文化財(有形文化財)に指定されています。戦時下の昭和19年(1944年)から始まった学童集団疎開に際しては、境内の寮に20名の児童を受け入れました。 境内には、檀信徒戦没者の鎮魂供養と世界恒久平和を希求して平和記念碑が建立されています。

鶴林寺(かくりんじ)
宝亀山寿翁院と号し、鎌倉の光明寺を本山とする浄土宗の寺院、本尊は阿弥陀如来です。不動堂があり、毎年1月28日の初不動には、だるま市が開かれます。境内には、明治6年(1873年)に設立された公立小学校である鶴鳴学舎(下鶴間学校)の跡地が保存されています。戦時下の昭和19年(1944年)から始まった学童集団疎開に際しては、境内の寮に16名の児童を受け入れました。写真の梵鐘には昭和25年2月24日の日付が刻まれていますので、戦後再生されたようです。

仏導寺(ぶつどうじ)
親縁山一心院と号す浄土宗の寺院、本尊は貞享3年(1686年)に作られた阿弥陀如来像です。境内にある梵鐘、慶長年間の墓、徳本念仏塔、坂本家の墓は大和市の重要文化財(有形文化財)に指定されています。梵鐘は元禄11年(1698年)に作られたもので、大和市内では最も古い梵鐘です。

善徳寺(ぜんとくじ)
沢柳山と号す浄土真宗の寺院、本尊は阿弥陀如来像です。寛政8年(1796年)作の梵鐘は、戦争のため国に供出させられましたが、潰されず戻されたものです。厨子と本堂を建立する際に土中から発見したとされる銅造釈迦誕生仏立像は大和市の重要文化財(有形文化財)に指定されています。戦時下の昭和19年(1944年)から始まった学童集団疎開に際しては、境内の寮に26名の児童を受け入れました。
境内には、高座海軍工廠に動員された台湾少年工の寄宿舎が近くにあったことから、戦没台湾少年工慰霊碑が建てられています。

常泉寺(じょうせんじ)
清流山と号す曹洞宗の寺院、創建は天正16年(1588年)、開山は朝巌存夙大和尚(ちょうがんそんしゅくだいおしょう)、開基は福田開拓九人衆の一人である関水和泉と伝えられています。境内には旧中根家墓地、明治6年(1873年)に開設された公立小学校である桃蹊学舎跡地の碑があります。旧中根家墓地は大和市の重要文化財(史跡)に指定されています。

蓮慶寺(れんけいじ)
福田山と号す真言宗の寺院、本尊は不動明王座像です。文禄元年(1592年)に関水対馬守によって創建されたと伝えられています。子育ての姥さまとして信仰をあつめる木造優婆尊尼像は大和市の重要文化財(有形文化財)に指定されています。

宗昌寺(しょうしゅうじ)
雲栄山と号す曹洞宗の寺院、本尊は元禄14年(1791年)銘の釈迦如来座像です。慶安元年(1648年)に北条氏直の家臣・鈴木宗昌によって建立されたと伝えられています。

信法寺(しんぽうじ)
生養山と号す浄土宗の寺院で、本尊は室町時代前半に作られた木造阿弥陀如来立像です。木造阿弥陀如来立像は大和市の重要文化財(有形文化財)に、境内にある旧石川家墓地は大和市の重要文化財(史跡)に指定されています。

薬王院(やくおういん)
信法寺の別院、本尊は南北朝~室町初期にかけて作られた木造薬師如来坐像です。毎年9月8日の縁日には双盤念仏による回向が行われます。12年に一度の寅年には、秘仏の薬師如来開帳として盛大に執り行われます。太鼓と鉦で念仏にあわせて演奏される双盤念仏は大和市の重要文化財(無形民族文化財)に指定されています。