
公所浅間神社
公所(ぐぞ)の鎮守。創立年代は不明、昭和50年(1975年)、国道16号線バイパス新設のため下鶴間1437から現在地に移転しました。例大祭は9月第2日曜日。

諏訪神社
公所を除いた下鶴間の鎮守。創立年代は不明、現在の社殿は明治5年(1872年)に建てられたものです。御神像、北辰一刀流奉納額は大和市の重要文化財(有形文化財)に指定されています。境内には戦没者77名の方々の名前が刻まれた平和記念碑が建立されています。例祭日は9月。

八雲神社
深見地区一ノ関で祀っていて、テンノウサマと呼ばれています。かつては「神輿青年「と呼ばれる青年会が組織されていて、祭礼一切を仕切っていました。例祭日は深見神社の末社になっているので深見神社と同じ日です。

八坂神社
深見地区入村、坊の窪で祀っていて、テンノウサマとも呼ばれています。かつては「天皇様青年」と称した祭祀組織があり、各家の長男が15歳になると入会していました。例祭日は7月19日でしたが、現在は、深見神社の末社になっているので、深見神社と同じ日になっています。

大和天満宮
厚木海軍航空隊に奉斎していた当時は厚木空神社でしたが、敗戦により軍隊が消滅解散したことから、九州の大宰府より天満宮を勧請し「南大和天満宮」として現在地に奉祀したと伝えられています。その後「大和天満宮」と改名されました。現在の社殿は再開発事業によりシリウスの2階にあります。例大祭は8月分月25日前後の土・日曜日。

深見神社
深見の鎮守で宮下に鎮座し、カシマサマ(鹿島神社)とも呼ばれています。大和市内では唯一の延喜式内社です。創立年代は不明、現在の社殿は昭和16年(1941年)に再建されたものです。境内にある社号標は大和市の重要文化財(有形文化財)に、ハルニレは大和市の重要文化財(天然記念物)に指定されています。例祭日は9月の敬老の日。

桜森稲荷神社
上草柳の鎮守。弘化3月年(1846年)、熊野神社の鬼門除けとして桜木が植樹され稲荷がまつられたと伝えられています。現在の社殿は昭和56年(1981年)に再建されたものです。例大祭は4月8日前の日曜日。

熊野神社
上草柳の鎮守。創立年代は不詳、現在の社殿は昭和53年(1978年)に再建されたものです。例大祭は9月23日。

山神社
下草柳の鎮守。かつては下草柳の六軒、大下(おおしも)、中村の三集落がそれぞれに山王社をまつっていましたが、明治初年にこれら三つの山王社が六軒集落の山王社に合祀、山神社(さんじんじゃ)となりました。昭和42年(1967年)、区画整理により現在地へ移転しました。例祭日は8月第三土曜日ごろ。

福田神社
境橋と山下の鎮守。境橋は日枝(ひえ)社、山下は子之(ねの)社を祀っていましたが、区画整理により昭和41年(1966年)に合祀し福田神社となりました。福田神社に伝わる囃子獅子舞(はやしししまい)は、弘化年間(1844~1848年)から行われているとされ、大和市の重要文化財(無形民族文化財)に指定されています。例祭は7月14日前後。

御嶽山神社
社(やしろ)のない御嶽山(おんたけさん)神社、もともとは山岳信仰の対象になっていて長野県木曾の御嶽山に参拝する人によって明治11年(1878年)に塚山が築かれ、毎年4月8日に盛大な祭りが行われていました。第二次世界大戦の空襲で石碑やお地蔵さんが壊されましたが、現在は渋谷村の歴史を守るため18人の有志の方により守られています。

田中八幡宮
新道下、善光明、札の辻、代官庭の鎮守。代官庭集落の田地の中に鎮座していたことから田中神社と称されています。御神像と天然理心流(てんねんりしんりゅう)奉納額は大和市の重要文化財(有形文化財)に指定されています。境内にある梵鐘は、大東亜戦争のため供出させられたため、昭和28年(1953年)に再建されたものです。例大祭は9月第三日曜日。

神明神社
中福田の鎮守。「新編相模風土記」には「神明社常泉寺持」と記されていることから中福田の清流山常泉寺と関係が深かったことがうかがえます。例大祭は9月第二土曜日と日曜日。

若宮八幡宮
根下、三軒庭、蓮慶寺下、八軒町、坂下、江久保の鎮守。境内には、寛政3年(1791年)銘の常夜燈、文化6年(1809年)銘の手洗鉢があります。寛保2年(1742年)作と伝えられる梵鐘は、大東亜戦争に際し供出させられましたが、昭和61年(1986年)、「平和祈願」と記した梵鐘として再建されました。境内には戦争で犠牲になった慰霊戦没者13名の方々の名前が刻まれた平和記念碑が建立されています。例大祭は9月第二土曜日と日曜日

金毘羅神社
桜株に最初に移り住んだ「宮久保三人衆」と呼ばれた人々が明治24年(1887年)に勧請したと伝えられている神社。現在の社殿は昭和16年(1941年)に建てられものです(屋根は当初は茅葺でしたが、その後、銅板に葺き替えられました)。例大祭は7月14日に近い土曜日と日曜日に行われています。

上和田左馬神社
上和田の鎮守で「七サバ参り」の一社、当初は鯖明神社でしたが、その後「左馬大明神」、「和田左馬大明神」となり、明治42年(1909年)に現在の「左馬神社」になったと伝えられています。境内には三社殿とよばれる社殿があります。現在の社殿は昭和7年(1932年)に再建されたものです。例祭日は9月24日。
七サバ参り:上和田、下和田、高倉、今田、下飯田、上飯田、瀬谷の七つのサバ神社に参拝すること

下和田左馬神社
下和田の鎮守で「七サバ参り」の一社。左馬神社と表記されるようになったのは近年のことで、それまでは鯖神社とされていました。境内にある寛政元年(1789年)銘の常夜灯には「鯖大明神」と刻まれています。梵鐘は第二次世界大戦の折り砲弾の資材として供出させられましたが、昭和55年(1980年)、郷土の平和と住民の繁栄を祈願して再生されたものです。