天正8年(1580年)、織田信長軍の佐久間盛政が加賀一向一揆の拠点だった金沢御堂(かなざわみどう)を攻め落とし築城したのが始まり。
その後、天正11年(1583年)、加賀に入封した前田利家が加賀支配の拠点とするため近世城郭へと改修した。
城郭構造は梯郭式平山城。城跡は国の史跡に指定されている。
天守は、慶長7年(1602年)の落雷により焼失、天守に代わる三重櫓が建造されたが落雷により焼失、その後は再建されていない。
現存する建造物は、
天明8年(1788年)に再建された石川門、弘化5年(1848年)に建造された鶴丸倉庫、安政5年(1858年)に再建された三十間長屋。いずれも国の重要文化財に指定されている。
再建された建造物は、
平成13年(2001年)に木造復元された橋爪門一の門、橋爪門続櫓、五十間長屋、菱櫓。平成22年(2010年)に木造復元された河北門。
平成27年(2015年)に木造復元された橋爪門二の門。
金沢城の屋根は鉛瓦葺き(なまりがわらぶき)、壁面には海鼠壁(なまこかべ)が見られる。
鉛瓦葺き=木材で屋根の形を作り、その上に厚さ数㎜の鉛板を張り付けている。
海鼠壁= 壁面に平瓦を並べて貼り、瓦のつぎ目(目地)に漆喰(しっくい)をかまぼこ型に塗っている。目地が海鼠(なまこ)に似ている。金沢城の海鼠壁の目地はひし形ではなく方形(縦横)になっている。
別名は尾山城(おやまじょう)、尾上城、金城。
明治6年(1873年)の廃城令で軍用地として残す存城処分となり、陸軍の部隊が置かれた。戦後は金沢大学のキャンパスが置かれた。その後、石川県が国から城址を取得し金沢城址公園として整備した。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2017年1月23日撮影。