室町時代に築かれた砦跡に慶長2年(1597年)、播州赤穂から讃岐に入った生駒親正豊が亀山に築城したのがはじまり。しかし、亀山城は高松城のが支城だったことから、元和元年(1615年)の一国一城令で廃城になった。
その後、讃岐は二分され、西讃岐に入った山崎家治が寛永20年(1643年)、幕府の許可を得て再建に取りかかり、京極高和氏が延宝元年(1673年)に完成させた。
丸亀城は「石垣の城」と呼ばれ石垣が美しい城。石垣は山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60mになる。
城郭構造は渦郭式平山城。城跡は国の史跡に指定されている。
現在の天守は、万治3年(1660年)に建造された独立式層塔型三重三階。 建造当初は両翼に構えられた二重櫓と繋がった連結式天守だった。徳川幕府に対する配慮から江戸期は「御三階櫓」と称した。江戸時代以前に建造された天守が残る現存12天守の一つ(現存12天守のなかで最も小さい)。
主な遺構は、天主、大手一の門、大手二の門、御殿表門、番所、長屋、本丸、二ノ丸、三の丸、山下曲輪。石垣、堀など。
江戸時代以前から現存する天守、大手一の門、大手二の門は国の重要文化財に指定されている。
別名は、亀山(標高66m)に築城したことから亀山城(かめやまじょう)、末永かれとの願いが込められてか蓬莱城(ほうらいじょう)とも呼ばれている。
明治政府の廃城令で櫓、城壁などが取り壊されたが、大正8年(1919年)、 丸亀市が山上部を借地し、亀山公園として整備した。平成30年(2018年)の豪雨や台風で帯曲輪石垣と三の丸坤櫓跡石垣の一部が崩落、復旧事業が続いている。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプは丸亀城天守に置かれている。
2015年12月7日訪問