概 要

天正4年(1576年)、織田信長の家臣で越前ほぼ一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊による築城がはじまり。


城郭構造は連郭式平山城。

現在の天守は独立式望楼型二重三階。江戸時代以前に建造された天守が残る現存12天守の一つで、北陸地方で唯一の現存天守。
大入母屋の上に廻り縁のある小さな望楼を載せた古式の外観から現存最古の天守とされていたが、最近の調査で江戸期の寛永 5年(1628年)に建造されたことが判明した。

おもな遺構は、天守、石垣など。かつては、五角形の広い内濠に囲まれた中に本丸や二の丸があったが、明治以降内堀が埋められ、現在は天守と天守台石垣だけが残る。
江戸時代以前から現存する天守は国の重要文化財に指定されている。

別名は、合戦に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説から、霞ケ城(かすみがじょう)。


明治政府の廃城令で天守以外の建造物は取り壊されたが、天守は地元有志によって買い戻され、その後丸岡町に寄贈された。昭和23年(1948年)の福井地震で石垣もろとも倒壊したが、昭和30年(1955年)に倒壊した部材75%以上を組み直し修復再建され。

平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプは霞ケ城公園管理事務所に置かれている。


2015年5月7日訪問

アクセス

福井県坂井市丸岡町霞町1-59
JR北陸本線・福井駅~本丸岡行きバスで40分~丸岡城バス停下車すぐ

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