天正11年(1583年)、真田昌幸が千曲川分流の尼ケ淵(あまがふち)に築城したのが始まり。徳川の大軍を2度にわたって退け、日本全国に名を馳せた真田昌幸の居城。
関ヶ原の戦いの後、城は破壊された。元和8年(1622年)、千国忠政によって再築されたが、未完に終わっている。
城郭構造は梯郭式平城。城跡は国の史跡に指定されている。
天守は現存せず、構造は不明。
主な遺構は、櫓、土塁、石垣、堀など。
江戸時代以前から現存する建造物は西櫓だけ。廃藩置県による廃城で南櫓、北櫓は売却されていたが、昭和24年(1949年)に買い戻され、移築復元された。
再建された建造物は、平成6年(1994年)に古写真を基に復元された南櫓と北櫓の間を結ぶ東虎口櫓門と袖塀。
別名は真田城(さなだじょう)、千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたので尼ケ淵城(あまがふちじょう)。
明治 7年(1874年)廃藩置県により廃城になり、土地、建物が民間へ払い下げられ、本丸に 7棟あった櫓は、西櫓を残して解体、売却された。
本丸が変貌するのを恐れた丸山平八郎が本丸付近を一括して買い取り公園とし、その後丸山神社に寄付、大正14年(1925年)には丸山神社から上田市に寄付され、上田公園として一般公開されている。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプは上田城櫓、上田市立博物館、上田市観光会館に置かれている。
2025年4月13~14日訪問