原爆ドーム(北側)
原爆ドーム(西側)
原爆ドーム(南側)
原爆ドームの南側、南側にあった建物が吹き飛ばされ、その跡がくっきりと残っている。広島県産業奨励館は、横からの力には弱いレンガ造りだったが、原爆がほぼ真上で爆発したため、爆風を垂直に受けることになり、ドームの部分と建物の壁の一部は倒壊を免れたといわれている。
原爆ドーム(東側)
平和記念公園
平和原爆被爆から4年たった昭和24年(1949年)、広島平和記念都市建設法が制定され、被爆地の中心部が平和記念公園として整備された。設計は丹下健三東大教授(当時)ほか3名の共同作品。核兵器廃絶を願って修学旅行生はじめ多くの人々が訪れている。
原爆の子の像
2歳で被爆した佐々木禎子さんの死をきっかけに、同級生らの呼びかけで全国からの募金で作られた原爆の子の像。佐々木禎子さんが、病状の回復を願って鶴を折り続けたことから「千羽鶴の塔」とも呼ばれている。今でも、日本国内をはじめ世界各国から年間約1千万羽の折り鶴が捧げられている。
平和の時計塔
祈りの泉
8時15分で止まった時計
熱線で溶けた屋根瓦
溶けて変形した茶碗
貞子さんが折った折り鶴