
高野山・壇上伽藍(だんじょうがらん)
弘法大師が、密教の教義に基づく曼荼羅(まんだら)の世界観を具現化したものといわれ、高野山全体の総本堂である「金堂」や「根本大塔」などの諸堂が建ち並んでいる。高野山全体を金剛峯寺と見たとき、その核にあたる場所で、奥の院と並んで信仰の中心として大切にされてきた。御影堂、金堂、根本大塔、不動堂などが建ち並んでいる。

高野山・根本大塔(こんぽんだいとう)
壇上伽藍にそびえる根本大塔(多宝塔)。大塔内陣は、胎蔵大日如来(たいぞうだいにちにょうらい)の四方に金剛界4仏を配置、周囲16本の柱には十六大菩薩を描き、立体曼荼羅(りったいまんだら)を表している。現在の建物は昭和12年(1937年)に再建されたもの。

吉野・吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)
古代における分水嶺に対する信仰を祭祀の起源とする神社、698年に降雨祈願をしたと伝えられている。社殿は本殿、拝殿、幣殿、楼門、回廊からなり、本殿は三社が一棟につながれている。現在の建物は慶長9年(1604年)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。

吉野・吉水神社(よしみずじんじゃ)
南北朝時代は南朝の皇居になった吉水神社、源義経が潜居した間もある。金峯山寺に付属する寺院だったが、明治政府の神仏分離令により神社に改まった。写真の書院は、日本における初期書院造の傑作として、国の重要文化財に指定されている。

吉野・紀伊山地の夜明け
山上ケ岳(さんじょうがたけ=標高1719m)から撮影した紀伊山地の夜明け、紀伊山地の峰々の奥に富士山が写っている(奈良県は富士山を最も遠くから撮影できる地域)。山上ケ岳は、山麓に女人結果門があり、聖域として現在でも女人禁制になっている。山上には大峰山寺本堂と護寺院の宿坊が建ち並び、信者だけでなく登山者も泊まることができる。

吉野・鷹の巣岩(たかのすいわ)
吉野から山上ケ岳に向かう大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)には、修験道の険しい行場が点在している。写真の鷹の巣岩は、かつては行場だった奇岩。
西の覗(のぞき)に ざんげして 弥陀の浄土に 入るぞうれしき

山上ケ岳の山上をめざす修験者
女人禁制を守っている修験道の聖地・山上ケ岳の登山道を登る修験者たち。山伏の装束を身に付け、ほら貝を吹きながら「懺悔(さんげ)、懺悔(さんげ)、六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と山上をめざしていた。

吉野・大峰山寺(おおみねさんじ)
修験道の根本道場となっている大峰山寺。写真は、大峯奥駈道を通った際にくぐる4つの門の最後となる妙覚門(みょうかくもん)。大峰山寺へは、5月3日の「戸開け」から9月22日の「戸閉め」までに10万人の修験者が参拝するといわれている。

吉野・大峰山寺(おおみねさんじ)
山上ケ岳の山頂にある大峰山寺、山上蔵王堂とも呼ばれている。写真の本堂は元禄4年(1691年)に再建されたもので、厳しい自然環境を考慮して柱が太く屋根が低く造られている。高所にある木造建築物としては日本最大、国の重要文化財に指定されている。

熊野・本宮大社(ほんぐうたいしゃ)
熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の1つである熊野本宮大社、全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮。もともとは「熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)」と呼ばれていた神社、明治22年(1889年)の水害で流され現在地に移築された。

熊野・速玉大社(はやたまたいしゃ)
熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の一つである熊野速玉大社。社殿がない自然信仰時代の神倉山から、社殿を建てて神々を祀ったことから、神倉神社(元宮)に対して新宮(しんぐう)と呼ばれている。写真は再建された礼殿、この奥に社殿が並ぶ。

熊野・那智大社(なちたいしゃ)
熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の一つである熊野那智大社。那智大瀧に対する自然崇拝からおこった神社で、もともとは那智大滝の下にあったとされている。那智大滝には那智大滝そのものを御神体とする飛龍神社(ひろうじんじゃ)が鎮座している。

熊野・神倉神社(かみくらじんじゃ)
熊野の神々が最初に降臨した聖地、神倉山の中腹にゴトビキ岩と呼ばれる巨岩がご神体として祀られている(ゴトビキ=ヒキガエルをあらわす新宮の方言)。源頼朝が寄進したと伝えられる、急勾配な鎌倉積み石段538段を登らなければならない。

伊勢路・馬越峠(まごせとうげ)
伊勢から熊野に向かう伊勢路にある参詣道・馬越峠、美しい石畳が残り、尾鷲ヒノキ林にかこまれている。伊勢路の中ではもっとも美しい参詣道といわれている。

伊勢路・馬越峠のヒノキ林
ヒノキ林にかこまれた馬越峠、尾鷲ヒノキ林は、吉野スギ林、天竜スギ林とともに人工林の三大美林の一つに選定されている。

伊勢路・八鬼山越(やきやまごえ)
尾鷲から三木里に向かう参詣道・八鬼山越。かつては山賊や狼が出没したと伝えられてきた難所中の難所だけあって、石畳は人に踏み荒らされることなく、苔むしたまま残されている。

中辺路・松本峠(まつもととうげ)
熊野市大泊町から大吹峠を通って熊野市街に向かう参詣道・松本峠。大吹峠には熊野古道にはめずらしく竹林が広がっている。松本峠からは七里御浜が見渡せる。

伊勢路・七里御浜(しちりみはま)
熊野市から熊野川河口までの22kmにわたって弓なりに続く海辺の参詣道・七里御浜。七里御浜には獅子巌(ししいわ)や日本最古の神社と伝えられている花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)がある。

川の参詣道・熊野川(くまのがわ)
熊野川中流域の熊野本宮大社から下流に位置する熊野速玉大社までの40kmが「川の参詣道」として世界遺産に登録されている。古代・中世においては、4~5人乗りの小さな舟で、本宮から新宮まで4時間ほどかけて下り、新宮から本宮へは倍近くの時間をかけて上った。

熊野古道センター
伊勢路の世界遺産登録を記念して建設された三重県立熊野古道センター、尾鷲ヒノキの角材で直線的な美しさ、力強さが表現されている。軒先から落ちる雨粒の軌跡も美しかった。