
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)
下鴨神社として知られている賀茂御祖神社、8世紀中頃に賀茂別雷神社(上賀茂神社)から分立したとされている。平安京造営にあたり、賀茂別雷神社とともに国家鎮護の社となり、11世紀初頭には現在に近い姿に整えられた。写真の楼門は、21年ごとの式年遷宮で造り替えられてきたが、寛永 5年(1628年)以降は解体修理をして保存されている。国の重要文化財に指定されている。

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)
上賀茂神社として知られている賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)、天武 7年(678年)に現在の社殿の基が造営されたと伝えられている。平安遷都(794年)以降は国家鎮護の神社として朝廷から崇敬され、11世紀初頭までに現在に近い姿に整えられた。文久 3年(1863年)に再建された本殿、権殿は平安時代の流造りで、国宝に指定されている。

醍醐寺(だいごじ))
山上伽藍は貞観16年(874年)に、平地伽藍は延喜 4年(904年)に整備が始められたと伝えられている。山上伽藍の薬師堂、清瀧拝殿、平地伽藍の金堂、五重塔、三宝院の殿堂表書院、唐門の6棟が国宝に、三宝院庭園は特別史跡、特別名勝に指定されている。写真の五重塔は、天歴 5年(951年)に建立されたもので、焼失を免れた唯一の建造物。京都に残る数少ない平安時代建築として貴重、現存する五重塔としては最古。

清水寺(きよみずでら)
宝亀 9年(778年)延鎮上人が音羽の滝上に観音を祀ったことに始まり、延暦17年(798年)坂上田村麻呂が本堂を建立、延暦24年(805年) 桓武天皇の勅願寺になったと伝えられている。当時の建物は戦火や火災で焼失、現在の建物のほとんどは17世紀前半に再建されたもの。写真は仁王門から撮影した境内の様子、奥に見える三重塔は国内では最大規模を誇り、国の重要文化財に指定されている。

高山寺(こうざんじ)
奈良時代の宝亀 5年(774年)に開基、鎌倉時代になって13世紀初頭(1206年)、明恵上人が中興し高山寺と改称した。明恵上人時代の唯一の遺構である石水院は、13世紀前半に建てられた住宅風建築で、鎌倉時代建築の面影を伝えている。石水院には鳥羽僧正の作と伝えられる「鳥獣人物戯画(模本)」4巻が公開されている。写真は参道の奥にたたづむ金堂、国の重要文化財に指定されている。

鹿苑寺(ろくおんじ)
金閣寺として知られている鹿苑寺(ろくおんじ)、室町幕府三代将軍・足利義満が鎌倉時代に造られた貴族の別荘を北山山荘に造り替えた。義満の死後、夢窓疎石を開山とする禅寺鹿苑寺となった。舎利殿(金閣)は、国宝に指定されていたものの放火で焼失、再建建造物のため世界遺産ではない。世界遺産に登録されているのは鹿苑寺庭園。鹿苑寺庭園は特別史跡、特別名勝に指定されている。

本願寺(ほんがんじ)
天正19年(1591年)に建立された浄土真宗本願寺派の本山。慶長 7年(1602年)に大谷派が東本願寺を創建したことから、西本願寺と呼ばれるようになった。桃山文化を代表する書院、黒書院、飛雲閣などが国宝に、大書院庭園が特別名勝に指定されている。写真の御影堂(ごえいどう)は世界最大級の木造建築、国の重要文化財に指定されている。

二条城(にじょうじょう)
慶長 8年(1603年)徳川幕府によって京都御所の守護と将軍上洛時の宿所として造営された。桃山文化を代表する文化資産として、武家風書院造である二の丸御殿が国宝に、小堀遠州の作と伝えられる二の丸庭園が特別名勝に指定されている。写真は二条城の正門にあたる東大手門、国の重要文化財に指定されている。

宇治上神社(うじがみじんじゃ)
11世紀後半から12世紀前半にかけての建立、平安時代は宇治明神として平等院の鎮守社となり、その後は近在住民の崇敬を集めて社殿が維持されてきた。写真の本殿は内殿(中殿、左殿、右殿)を保護する覆屋で、内殿とともに年輪年代測定によって康平 3年(1060年)ごろの建立であることが判明。現存する神社建築としては日本最古、国宝に指定されている。

下鴨神社・楼門(ろうもん)

東寺・南大門

本願寺・御影堂

二条城・唐門

清水寺・三重塔

清水寺・清水の舞台

清水寺・懸造り(かけづくり)

清水寺・子安の塔

平等院・鳳凰堂(ほうおうどう)

天龍寺・庭園

延暦寺・法華堂(ほっけどう)
西塔にある法華堂、左の常行堂と廊下でつながっているのでにない堂とも呼ばれている。いずれも国の重要文化財に指定されている。

延暦寺・平和の鐘