日光の社寺(にっこうのしゃじ)、
などが評価され、1999年、文化遺産に登録された。
構成資産は、次の4資産(二社一寺と周辺の景観遺跡)。
登録地域の面積は、構成資産 50.8ヘクタール、それを保護する緩衝地帯 373.2ヘクタール。
二荒山(男体山)をはじめ諸山の神霊を祀ってきた二荒山神社、1200年以上の歴史を有する輪王寺に代表される日光の社寺は、古来の神道と神を仏として崇める仏教が融合した独自の信仰を育くんできた。江戸時代には、徳川家康の霊廟である東照宮の造営により、現在の建造物群が整えられた。明治4年(1868年)の神仏分離令以降は、東照宮以外の日光山内の神道建造物を総称して二荒山神社、日光山内の仏教建造物を総称して輪王寺と呼ぶようになった。
二荒山神社
日光における山岳信仰の中心として古くから崇拝されてきた神社。中世には多くの社殿が造営され、江戸時代になると徳川幕府によって新たに本殿や社殿が造営された。
本殿や神橋など23棟が重要文化財に指定されている。
東照宮
元和 3年(1617年)、徳川家康の霊廟として創建され、徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀っている。
現在の主要な社殿は、寛永13年(1636年)、 3代将軍・徳川家光により造営されたもの。東照宮の創建により、日本の代表的な神社建築様式である「権現造」が完成した。
本殿、石の間・拝殿、正面唐門、背面唐門、陽明門、東西透塀2棟、東西回廊2棟の 8棟が国宝に、34棟が重要文化財に指定されている。
輪王寺
8世紀末、日光を開山した勝道上人(しょうどうしょうにん)の創建した四本竜寺(しほんりゅうじ)を起源とし、日光山の中心寺院として発展してきた。本堂は嘉祥元年( 848年)、滝尾神社(たきのおじんじゃ)近くに造営された。現在の建物は徳川家光の寄進により正保 2年(1645年)竣工、神仏分離令にともない明治12年(1879年)に現在地に移転された。承応 2年(1653年)には徳川家光の霊廟が境内地に造営された。本堂には日光三山の本地仏として三体の本尊(阿弥陀如来、千手観世音菩薩、馬頭観世音菩薩)が祀られている。
大猷院の本殿・相の間・拝殿の 1棟が国宝に、37棟が重要文化財に指定されている。
17世紀の天才的芸術家の作品群である東照宮と大猷院は、日本近世の宗教建築を代表する権現造り形式の完成形といわれ、その後の霊廟建築や神社建築に大きな影響を与えた。権力の絶大さを象徴する豪華絢爛たるものの、随所に平和を願う思いが込められている。
神厩舎に飾られている「三猿(さんざる)」に表現されている処世術、東回廊に飾られている「眠り猫(ねむりねこ)」に象徴されているを平和を願う思い、含蓄のある徳川家康の遺訓など、現代に通じるものが感じられる場所でもある。
徳川家康の遺訓
人の一生は重荷を負て 遠き道をゆくが如し いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし こころに望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし 堪忍は無事長久の基 いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知りてまくる事を知らざれば害其身にいたる おのれを責て人をせむるな 及ばざるは過たるよりまされり