平等院(びょうどういん)
貴族の別荘を寺院に改めた平等院、12世紀初めまでに浄土庭園の伽藍が造営された。前面に池を配した庭園は西方極楽淨土を表現したものとされ、奥州平泉の毛越寺、無量光院への波及がみられる。写真の阿弥陀堂(あみだどう)は天喜元年(1053年)の建立、国宝に指定されている。中堂の左右に翼堂を備え鳳凰堂(ほうおうどう)とも呼ばれている。
仁和寺(にんなじ)
仁和4年(888年)宇多天皇の勅願寺として建立された仁和寺、皇族や公家が出家して住む門跡寺院として建立されたことから御室御所(おむろごしょ)と称された。伽藍は応仁の乱で全て焼失したが、1640年代に再建された。写真の五重塔は高さは36m余り、各層の屋根の大きさがほぼ同じで江戸時代の特徴を示している。国の重要文化財に指定されている。
教王護国寺(きょうおうごこくじ)
東寺として知られている教王護国寺、平安遷都に際し延暦15年(796年)国家鎮護の寺として都の入口である羅城門の東西に建立された官寺の一つ。弘仁14年(823年)に弘法大師空海に下賜され真言密教の道場となった。写真の五重塔は、寛永21年(1644年)徳川家光の寄進で再建されたもので5代目。日本に現存する五重塔では最も高く(55m)、国宝に指定されている。
慈照寺(じしょうじ)
銀閣寺として知られている慈照寺(じしょうじ)、室町幕府八代将軍・足利義政が文明14年(1482年)に築いた東山山荘が禅寺に改められたもの。写真の観音殿(銀閣)は、鹿苑寺の金閣を模して造営された楼閣建築で1階は書院風造り、2階は禅宗仏殿造りになっている。武家、公家、禅僧らの文化が融合して生まれた東山文化を代表する建築と庭園を有している。写真の観音殿は国宝に、庭園は国の特別史跡、特別名勝に指定されている。
西芳寺(さいほうじ)
苔寺として知られている西芳寺、天平年間(729~749年)行基よって開かれ、暦応 2年(1339年)夢窓疎石によって禅宗寺院として再興された。応仁の乱の兵火と水害により諸堂のほとんどが失われたが、庭園は苔に覆われながらも保持され、鹿苑寺庭園、慈照寺庭園をはじめ後世の庭園に大きな影響を与えた。写真の庭園は、国の特別名勝に指定されている。
天竜寺(てんりゅうじ)
室町幕府の初代将軍・足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、暦応 2年(1339年)、後嵯峨天皇の亀山離宮を禅寺したもの。度重なる大火によって主要伽藍は失われたが、夢窓疎石が作庭に携わった天龍寺庭園が残されている。写真は嵐山や亀山を借景として取り入れた天龍寺庭園、国の史跡ならびに国の特別名勝に指定されている。
龍安寺(りょうあんじ)
宝徳2年(1450年)細川勝元が徳大寺家の山荘を譲り受け建立した禅寺。写真の方丈庭園は、築地塀に囲まれ、波の重なりを表す白砂の砂紋の中に5群15個の石が置かれている石庭、15世紀中期には造られていたと考えられている。枯山水庭園の代表作として世界的に知られ、国の特別名勝に指定されている。
延暦寺(えんりゃくじ)
延暦寺(えんりゃくじ)、788年(延暦 7年)日本天台宗を開いた最澄が現在の根本中堂の場所に小規模な寺院を建立したのが始まり。その後、平安京の鬼門鎮護の寺とされ、10世紀後期に現在の姿に整えられた。東塔、西塔、横川などの区域に150ほどの堂塔がある。写真は西塔にある常行堂、右にある法華堂と渡り廊下でつながっているので両堂合わせて「にない堂」とも称されている。いずれも国の重要文化財に指定されている。