興福寺(こうふくじ)
京都の山階の地に藤原氏の氏寺として創建された山科寺が藤原京に移され厩坂寺となり、平城京遷都にともない現在地に移転された。治承4年(1180年)、平氏による焼き討ちでほぼ全焼したが、三重塔、五重塔、南円堂、東金堂などの国宝建築物が再建されている。写真は猿沢の池から撮影した五重塔、正面の階段は仏門に入る修行に由来して52段あり「五十二段」と呼ばれている。
薬師寺(やくしじ)
飛鳥の地に建立されていた薬師寺が平城京遷都にともなって現在地に移転されたもの。金堂を中心に東塔と西塔の2つの三重塔を配する伽藍配置は、その美しさから龍宮作りと呼ばれている。写真の東塔は、三重の屋根にそれぞれ裳階(もこし)があり六重の塔に見える。薬師寺では奈良時代にさかのぼる唯一の建造物で、国宝に指定されている。
唐招提寺(とうしょうだいじ)
天平宝宇3年(759年)、聖武天皇の招きで唐から来日した高僧・鑑真(がんじん)によって創建された。写真の金堂は、正面7間、側面4間、手前の1間は吹き放しで、柱の中ほどにわずかなふくらみのある8本の太い円柱が並んでいる。奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一、この時代の木造建造物が中国や朝鮮半島に残っていないことから世界史的にも貴重で、国宝に指定されている。
元興寺(がんごうじ)
飛鳥の地に建立されていた日本最古の法興寺(飛鳥寺)が平城京遷都にともなって現在地に新築移転されたもの。奈良町とよばれる地域の大半は元興寺の境内だったが、現在は鎌倉時代に改築された極楽堂と禅室が残っている。屋根には行基葺きと呼ばれる飛鳥時代の瓦屋根が使われている。写真は極楽堂(本堂)、禅室とともに国宝に指定されている。
東大寺(とうだいじ)
天平15年(743年)、聖武天皇の勅願により全国の国分寺の中心的な総国分寺として建立された。中世以降、2度の兵火で多くの建物が焼失、ほとんどは江戸時代に再建されている。本尊は大仏(盧舎那仏=るしゃなぶつ)、大仏殿(金堂)に安置されている。南大門、金堂、法華堂、二月堂、大仏などが国宝に指定されている。写真は豪快な南大門から撮影した金堂、修学旅行生や観光客でいつも賑わっている。
春日大社(かすがたいしゃ)
神護景雲 2年(768年)、称徳天皇の勅令により藤原氏の氏神を祀る神社として創建された。写真の南門(なんもん)は高さ12メートルの朱塗りの門、国の重要文化財に指定されている。本殿を囲むように設けられている回廊には、約1000基の釣燈籠があり、万燈籠の日にはすべてに火が灯される。
春日山原始林(かすがやまげんしりん)
春日大社の背後に広がる春日山原始林、1100年以上前から狩猟と伐採が禁止され春日大社の聖域として守られてきた。手つかずの自然が今なお残されており、国の特別天然記念物に指定されている。日本人の伝統的な自然観と深く結びついて、今日まで伝えられてきた景観として、文化遺産に登録されている。
平城宮跡(へいじょうきゅうせき)
平城京遷都から長岡京遷都までの70年間、平城京の政治・経済の中心部であった宮跡。国家の政治や儀式をする大極殿や朝堂院、天皇の居所である内裏、行政機関である役所があった。写真は平成22年(2010年)に復原された大極殿(だいごくでん)、正面約44m、側面約20m、高さ約27mで、直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿だった。