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![]() 吉野大峰・吉野山 |
![]() 吉野大峰・金峯山寺 |
![]() 熊野三山・紀伊山地 |
![]() 熊野三山・熊野本宮大社 |
![]() 熊野三山・熊野参詣道 |
![]() 熊野三山・那智大滝 |
![]() 高野山・金剛峰寺 |
![]() 高野山・奥院 |
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和歌山県、奈良県、三重県にまたがる「紀伊山地の霊場と参詣道」、自然崇拝に根ざした日本古来の神道と百済より伝来した仏教が結びついた神仏習合思想をよくあらわしていること、神社や寺院などの建造物が自然環境と一体となって文化的景観を構成していることなどが評価され、文化遺産として登録されました。登録資産は、次の資産群です。→すべての登録資産を見る
登録地域は、登録資産(核心地域)約4.95平方キロメートルと、その周辺の緩衝地帯を加えた約118.7平方キロメートル。登録されている参詣道の総距離は307.6キロメートル。 「道」が世界遺産として登録されたのは、スペイン〜フランスにまたがる巡礼道「サンディアゴ・デ・コンポステラへの道」についで2件目です。 紀伊山地の3つの霊場は、それぞれ異なる信仰の霊場でしたが、それぞれが参詣道で結ばれ、日本古来からの神道と仏教が融合した神仏習合の文化が育まれてきました。 しかしながら、明治維新政府の神仏習合を禁止する神仏分離令(神仏判然令)をきっかけに、全国各地で廃仏毀釈運動がおこり、寺院や仏具が破壊されてしまいました。 さらに、明治39年(1906年)に施行された「神社合祀令」によって全国で5万もの神社がつぶされ、熊野でも神社の森が伐採されるという危機に瀕しました。この危機に対し、和歌山県出身の博物学者・南方熊楠(みなみかたくまぐす)は、「神社をつぶすということは自然と人間社会を破壊するもの」と日本で初めてエコロジーの考えを提唱して「神社合祀令」に反対、「熊野の森を守れ!」と立ち上がり、那智滝の原生林や樹齢500年をこえる熊野古道の杉木立を守りました。 紀伊山地では、神を絶対化し神の名のもとに戦争する「戦争の文化」とは違う「平和の文化(共生の文化)」に誇りを感じることができました。神も仏も受け入れてきた共生の文化は「人の心の中に平和のとりでを築く」というユネスコの理念と合致するものだと思います。 神仏習合(しんぶつしゅうごう) 6世紀に伝来した仏教は日本古来からの神道との融和をはかり、神道も仏教との融和をはかるようになり、その中で生まれた「神の本体は仏」という思想。神は人々を救うために仮に現れている姿で、仮に現れた神のことを権現(ごんげん)という。本体である仏を本地といい、仮に神になって現れることを垂迹ということから「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」思想ともいう。
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