西国諸大名に対する監視と備えのため、元和 5年(1619年)、徳川幕府2代将軍秀忠の命により初代明石藩主小笠原忠政によって築かれた。中心部だけでも 4基の三重櫓、 6基の二重櫓、10基の平櫓が建てられていた。そのうち本丸跡に建つ巽櫓(たつみやぐら)と坤櫓(ひつじさるやぐら)は日本に12基しか現存していない三重櫓のうちの 2基。
急ピッチの築城となった明石城では、一国一城令で廃城になった周辺の船上城、三木城、高砂城の材料が再利用されている。
城郭構造は連郭梯郭混合式平山城。城跡は国の史跡に指定されている。
天守台は築かれたものの天守は建てられず、四隅に巽櫓、坤櫓、乾櫓、艮櫓が建てられた。坤櫓が天守の代用となっていた。
現存建造物は巽櫓と坤櫓の2棟、いずれも国の重要文化財に指定されている。
別名は喜春城(きはるじょう、きしゅんじょう)、錦江城(きんこうじょう)。
明治6年(1873年)の廃城令で廃城処分となり大蔵省所管となる。
明治16年(1883年)、地元有志による「明石公園保存会」が国から借地し、民営明石公園を開設。
その後、御料地編入により廃園となるも、
大正7年(1918年)に兵庫県が宮内省から借り受け県立明石公園として開園した。
阪神淡路大震災の後、石垣、巽櫓、坤櫓が復旧され、巽櫓と坤櫓間の土塀が復元、修復された。
平成2年(1990年)には日本さくら名所100選に選定された。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2019年12月8日撮影。