平安時代末期~鎌倉時代初期、鎌倉幕府の有力御家人で足利家 2代目の足利義兼(あしかがよしかね)による創建と考えられている。足利義兼は戦功を認められ、文治元年(1185年)、源頼朝の知行地であった上総の国司に任じられていた。室町幕府の初代将軍は足利家 8代目の足利尊氏(たかうじ)である。
建久 7年(1196年)、境内に大日如来(だいにちにょらい)を奉納した持仏堂を建立、鑁阿寺(ばんなじ)という足利氏一門の氏寺となり現在に至っている。
足利氏舘跡は国の史跡に指定されている。
主な遺構は、水堀、土塁、門など。
水堀と土塁に囲まれた方形の館跡(北辺約223m、南辺約211m、東辺約175m、西辺約206m、四方に門が設けられている)は、足利氏の居館は残されていないが、鎌倉時代の地方武士の舘の姿を伝える貴重な遺構である。
江戸時代以前から現存する建造物は、鑁阿寺本堂(国宝)、鑁阿寺鐘楼(国の重要文化財)、鑁阿寺経堂(国の重要文化財)、鑁阿寺太鼓橋、鑁阿寺山門、舘跡の東門、西門など。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプは鑁阿寺本堂内寺務所に置かれている。
2024年11月 5日訪問
鎌倉幕府が開かれた鎌倉市には鎌倉時代の遺構がほとんどないのに、栃木県にその時代の遺構が残されていたことには驚きました。鑁阿寺が建立されていたから、舘跡が遺されてきたのか.....。