もともとは長禄元年(1457年)、太田道灌により築城された平山城。その後、徳川幕府により拡張整備され、石垣のある江戸城になった。
城郭構造は輪郭式平城または平山城。江戸城外堀跡は国の史跡に、江戸城跡は国の特別史跡に指定されている。
初代天守は、家康により慶長12年(1607年)建造、連立式層塔型五重五階地下一階
二代天守は秀忠により元和9年(1623年)再建、独立式層塔型五重五階地下一階
三代天守は家光により寛永15年(1638年)再建されたが、明暦の大火で焼失。
四代天守は家綱により明暦3年(1657年)再建に着手されたものの中止、天守があったのは、江戸幕府治世260年のうち50年ほどであった。
主な遺構は、櫓、城門、番所、本丸、二ノ丸、三の丸、西の丸、北の丸、石垣、堀など。
外桜田門、清水門、田安門は国の重要文化財に指定されている。富士見櫓、伏見櫓、桜田巽櫓、大番所、百人番所、同心番所は現存しているものの宮内庁管理のため重要文化財などには指定されていない。
別名は江城(こうじょう)、千代田城(ちよだじょう)。
徳川幕府の居城であった江戸城は、明治元年(1868年)開城、明治天皇が京都から行幸、東京城(とうけいじょう)と改称され御所が置かれた。
その後、明治2年(1869年)に皇城(こうじょう)、明治21年(1888年)に宮城(きゅうじょう)、昭和23年(1948年)に皇居(こうきょ)と改称された。
江戸城の西の丸大手門が皇居の正門になり、皇居正門にかかる橋は明治20年(1887年)に花崗岩でできた二つのアーチのある石橋に改修された。その後方に皇居正門(江戸時代は木造で橋桁が二重構造になっていた二重橋があり、現在はそれらを総称して二重橋と呼んでいる。
皇居内には、天皇皇后両陛下の住居である御所、諸行事を行う宮殿、宮内庁庁舎などがある。皇居の一部は皇居一般参観で参観できる。旧江戸城の中心部であった本丸、二ノ丸、三ノ丸跡は皇居東御苑として一般に開放されている。南東側の皇居前広場と北側の北の丸公園は常時開放されている。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプは和田倉休憩所、北の丸休憩所、楠公休憩所に置かれている。
2016年10月4日、2016年10月20日訪問
江戸城一周を歩いてみると、歩くだけで半日かかる。桜田門や田安門などをくぐると巨大で江戸城の大きさがわかる。改めてまわると、建造物が現存していることにびっくり! さらに本丸、二ノ丸、三ノ丸跡は皇居東御苑として一般に開放されている。西の丸には天皇皇后両陛下の住居である御所、諸行事を行う宮殿、宮内庁庁舎などもある... なかなか魅力あるところだと思いました。