鎌倉幕府の文官(鎌倉殿の13人の一人)であった二階堂行政が建仁元年(1201年)に稲葉山に砦を築いたのが始まり。戦国時代には斉藤道三が整備したが、美濃支配を進める織田信長が奪取し岐阜城と改め、山頂に居住屋敷、山麓に居館を設けるなど居城として整備した。
その後、城主となった織田秀則は関ヶ原の戦いで石田三成の挙兵に呼応して西軍につき、東軍側の池田光成や福島正則らに攻められ落城、翌年に徳川家康によって廃城とされた。
城郭構造は山城。城跡は国の史跡に指定されている。
山頂にあった天守は、廃城後に築城された加納城の御三階櫓として移された(後に落雷により焼失)。
現在の天守は望楼型三層四階、昭和31年(1956年)、鉄筋コンクリート造りで再興された。
伝一ノ門跡、伝二ノ門跡、伝太鼓櫓跡、本丸井戸跡などが残る。
別名は稲葉山城(いなばやまじょう)。
明治21年(1887年)、金華山山麓は岐阜公園として整備され開園。
明治43年(1910年)、長良橋の古材を利用してわが国初の観光目的で模擬天守が再建された。
昭和18年(1943年)、模擬天守焼失。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2017年10月4日、2017年11月14日撮影。