五稜郭は、江戸幕府が元治元年(1864年)、箱館山の麓にあった函館奉行所の防備を固めるため建造した星形をした西洋式の土塁(城郭)。しかし完成からわずか2年後に江戸幕府が崩壊、 明治元年(1868年)から翌年にかけて旧幕府軍と新政府軍との間で繰り広げられた戊辰戦争の最後の戦いとなった箱館戦争の舞台となった。旧幕府軍が一旦は五稜郭に立て籠もり占領するも、新政府軍の艦砲射撃を受け降伏した。
城郭構造は稜堡式平山城。城跡は国の特別史跡に指定されている。
五稜郭は、西洋城郭に倣った砲撃戦に対する軍事施設だったことから、砲撃の的となるような天守や櫓などは建てられていない。
現存する兵糧庫(ひょうろうこ)は築造当時から唯一現存する建造物。
再建建造物は、平成22年(2010年)に再建された箱館奉行所、板庫(いたくら)、土蔵。
箱館奉行所の正面玄関を入った先に高さ約16.5mの太鼓櫓が設けられている。板庫は売店および休憩所、土蔵は管理事務所に使用されている。
別名は湿地でネコヤナギが多く生えていた土地であることから柳野城(やなぎのじょう)。
箱館戦争後は明治政府兵部省が管理することになり、箱館奉行所の建物はほとんど取り壊された。明治6年(1873年)からは陸軍省が練兵場として使用してきた。
大正2年(1913年)、函館区長からの陸軍大臣への五稜郭を公園として無償貸与して欲しい旨の請願が許可され、 翌年から五稜郭公園として一般開放されている。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2019年5月27日撮影。