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概 要

文明8年(1476年)、関東管領であった山内上杉氏の家臣長尾景春が築城したのが始まり。その後、小田原の後北条氏時代に北条氏邦によって整備拡張された。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原攻めの際、豊臣方の大軍に包囲され、城兵の助命を条件に明け渡し、その後廃城となった。
関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、荒川と荒川に流れ込む深沢川(ふかさわがわ)に挟まれた断崖絶壁の天然の要害に立地し、その縄張りは平地部に面する南西側に大手、外曲輪、三の曲輪を配し、両河川の合流地点である北東側に向かって二の曲輪、本曲輪、笹曲輪が連なる連郭式の構造となっている。北関東支配の拠点として、さらに甲斐(かい)、信濃(しなの)からの侵攻への備えとして重要な役割を担っていた。


城郭構造は連郭式平山城。城跡は国の史跡に指定されている。

天守については中世城郭でもあり確認されていない。発掘調査で、曲輪の周辺には櫓や虎口には門があった可能性は考えられたが確認はできなかった。

遺構としては、堀や土塁とともに、堀や土塁によって区切られた曲輪が確認できる。 二の曲輪、三の曲輪、笹曲輪は平成9年度から13年度にかけて発掘調査が行われ、その成果をもとに、馬出や堀、土塁の復元整備が進められた。
三の曲輪と二の曲輪を隔てる空堀跡は、最大幅約24m、深さ約12mの大規模な堀で、堀底には畝が見つかっている。また三の曲輪では戦国時代の築城技術を今に伝える四脚門(しきゃくもん)や石積み土塁、庭園などが発掘調査を基に推測して復元されている。

鉢形城という名前は、城の敷地が兜(かぶと)の鉢(はち=頭の部分)の形に似ていることから名付けられた。


昭和7年(1932年)、鉢形城跡が国の史跡に指定された。
平成9年(1997年)度から平成13年度にかけて二の曲輪、三の曲輪、笹曲輪の発掘調査が行われ、復元整備が進められた。
平成16年(2004年)、庭園跡や四脚門などが整備され鉢形城公園として一般公開された。外曲輪の一角に鉢形城歴史記念館が建てられている。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。


2024年9月24日訪問。

アクセス

埼玉県大里郡寄居町鉢形2496-2
JR八高線(あるいは秩父鉄道、東武東上線)・寄居駅南口~鉢形城(搦手にあたる笹曲輪)まで徒歩15分
日本100名城のスタンプが置いてある鉢形城歴史記念館へは城内からの近道あり。

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