概 要

八王子城は、小田原北条氏の三代目である氏康の三男、北条氏照が築いた山城が始り。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城した。この八王子城落城が決め手となって籠城を続けていた小田原城は開城、北条氏は滅亡した。その後に領主となった徳川家康によって廃城になった。

城郭構造は山城。城跡は国の史跡に指定されている。

八王子城跡は、戦国の山城としての状態を良く残している。城は大まかに、城下町に当たる「根小屋地区」、城主氏照の館のあった「御主殿跡」などの「居館地区」、戦闘時に要塞となる「要害地区」に分かれていて、要害地区は深沢山(城山)の地形を巧みに利用して、頂上に本丸が設けられ、周囲に敵の侵入や攻撃を防ぐために「曲輪」と呼ばれる平場が配置されていた。

戦国時代の山城なので、もともと聳え立つような天守はなかった。

別名は武州八王寺城。


八王子城が落城してから400年にあたる平成2年(1990年)、八王子市開市400年事業の1つとして、八王子城跡の整備が行われた。御主殿地区の石垣と虎口などの通路、御主殿に続く古道が整備された。石畳や石垣は、発掘によって確認された当時のものをなるべく活用し、破損していた個所についても、できるだけ当時の形に忠実に復元された。八王子城周辺は、江戸時代には徳川幕府の直轄地、明治になってからは国有林となっていたため、あまり人の手が入らず、御主殿周辺の遺構は良好な形で残っていた。

平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。


写真は2021年12月21日撮影。

アクセス

東京都八王子市元八王子町3丁目、西寺方町、下恩方町
JR中央本線・高尾駅~西東京バスで霊園前・八王子城跡入口下車~20分

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