概 要

南北朝時代の貞和2年(1346年)、姫山に築城された姫山城が姫路城の始まり。その後、安土桃山時代の天正8年(1580年)、羽柴秀吉が三重の天守を築いて近世城郭とし、姫路城と改称。関ヶ原の戦いの後、慶長14年(1609年)、徳川家康から西国外様大名を牽制する命を受けた池田輝政が、8年の歳月をかけ現在の大城郭を築き上げた。


城郭構造は本丸を中心に二の丸、三の丸を渦巻き状に配置する渦郭式平山城(かかくしきひらやまじょう)。城跡は国の特別史跡に指定されている。

現在の天守は連立式望楼型五重六階地下一階、大天守、東小天守、西小天守、乾小天守が渡櫓で結ばれている。五重天守が現存しているのは姫路城と松本城の 2基だけ。江戸時代以前に建造された天守が残る現存12天守の一つ。

現存する大天守、東小天守、西小天守、乾小天守、イの渡櫓、ロの渡櫓、ハの渡櫓、二の渡櫓の8棟は国宝に、櫓16棟、渡櫓11棟、門15棟、塀32棟の74棟は国の重要文化財に指定されている。

別名は白漆喰(しろしっくい)が施された城の姿をシラサギにたとえ白鷺城(はくろじょう)、白鷺城(しらさぎじょう)。


明治 6年(1873年)の廃城令では軍用地として残す存城処分となり陸軍が使用することになり、三の丸や外曲輪の建物が取り壊された。一方、姫路城の腐朽を憂いた陸軍省中村大佐の進言などで、姫路城は保存修復されることになり、明治43年(1910年)から陸軍省の手で修理が始まった。昭和20年(1945年)には、 2度にわたって米軍の空襲にさらされたものの、奇跡的に焼失を免れた。
大正元年(1912年)、 姫路市は陸軍が使用していない本丸と二の丸、三の丸の一部を借り受け、姫山公園として整備し一般公開した。

平成 5年(1993年)、日本の城郭建築の傑作として世界遺産に登録された。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。


写真は2015年8月3日撮影。

アクセス

兵庫県姫路市本町68
JR線・姫路駅~徒歩20分

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