概 要

一乗谷城朝倉氏館は戦国大名朝倉氏が越前を治めた際の政治・文化の中心地で、孝景(たかかげ)、氏景(うじかげ)、貞景(さだかげ)、孝景(たかかげ)、義景(よしかげ)の 5代103年間にわたってこの地を支配するとともに、室町幕府で重要な地位を占める大名となった。この間、京都や奈良の貴族・僧侶ら文化人を招いて積極的に都の文化を取り入れたことから一乗谷は北陸の小京都と呼ばれた。天正元年(1573年)、織田信長との戦で敗れ滅亡、一乗谷は戦火によって焼土と化した。
一乗谷城朝倉氏館の立地と縄張りは、朝倉家やその家臣達が居住していた朝倉氏館と城下町、最後の拠点としての一乗谷城で構成されている。 城下町は、一乗谷川に沿った細長い谷エリアに、武家屋敷やその庭園、町家、寺院が並んでいた。一乗谷城は、標高 437mの一乗城山に築城された中世山城で15世紀前半には築かれていたと考えられていた。一度も戦闘に使用されることなく廃城となった。


城郭構造は山城、麓に居館。一乗谷朝倉氏遺跡は国の特別史跡に、諏訪館跡庭園(すわやかたあとていえん)、湯殿跡庭園(ゆどのあとていえん)、館跡庭園(やかたあとていえん)、南陽寺跡庭園(なんようじあとていえん)は国の特別名勝に指定されている。

主な遺構は山城部分では一の丸、二に丸、三の丸、千畳敷(本丸)、堀切、竪堀など、城下町部分では朝倉氏館跡、諏訪館跡庭園跡、湯殿跡庭園跡、館跡庭園跡、南陽寺跡庭園跡、城戸跡など。
朝倉氏館跡では、発掘された遺構の上を歩いて回ることができるガラス床が設置されている(ガラス床は当時の部屋の面積に合わせられていて、建物の大きさが体感できる)。また、朝倉氏館跡の向かいの武家屋敷跡では、約200mにわたって町並みが復原され公開されている(原寸大の立体模型は日本初)。


昭和42年(1967年)から始まった発掘調査で、一乗谷川に沿った平地部に朝倉氏の館をはじめ、武家屋敷や寺院、町屋、職人屋敷、道路まで、当時の町並みがほぼ完全な状態で発掘された。当時の町並みの跡が田畑の下に埋もれていたものがそのまま姿を現したので「日本のポンペイ」と呼ばれている。
昭和46年(1971年)、国の特別史跡に指定され、史跡公園として発掘・整備が進められている。また、平成 3年(1991年)には遺跡内の4庭園が国の特別名勝に指定された。

平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプは復原町並入場券売場に置かれている。


2025年10月29日訪問

アクセス

福井県福井市城戸ノ内町
JR線・福井駅~一乗谷行きバス(30分)~朝倉氏舘下車すぐ

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