城郭構造は梯郭式平山城。城跡は国の史跡に指定されている。
筒井氏天守は天正13年(1585年)、現天守の東方に三層の天守が築かれたが、その後倒壊、再建されず。
藤堂氏天守は慶長17年(1612年)、竣工間近だった五層の天守が暴風雨のため倒壊、その後再建されず。
現在の天守は昭和10年(1935年)、層塔型三層三階で木造再建されたが、本来の天守のあった場所に建造されていない模擬天守。
遺構としては、高石垣、堀、建造物としては武具蔵(ぶぐくら)に付属していた手当蔵(てあてぐら)と米倉(こめくら)が残る。
手当蔵は三重県立上野高校の図書館横に立地している。 米倉は博物館の一部として上野公園敷地内に移築されている。
別名は白鳳城(はくほうじょう)。
明治政府の廃城令により廃城処分となり、建造物の多くが取り壊された。明治20年(1887年)に東大手門が解体され、 明治40年(1907年)には西大手門が解体された。
明治29年(1896年)、伊賀出身の実業家田中善助、城周辺を住民の憩いの場として整備し上野公園として一般公開した。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプは天守 1階に置かれている。
2025年5月13日訪問