織田信長の叔父信康が天文 6年(1537年)、木曽川沿いの丘陵上に築城したのが始まり。城主はめまぐるしく交代し、元和 3年(1617年)に尾張徳川家の付家老の成瀬氏が城主になり現在の姿に整えられた。
城郭構造は平山城、かつては本丸から南へ杉の丸、樅(もみ)の丸、桐の丸、松の丸を並べた連郭式平山城であった。城跡は国の史跡に指定されている。
現在の天守は、複合式望楼型三重四階地下二階。天守南面と西面に平屋の付櫓が付属している。
天守の創建時期は諸説あったが、令和 3年(2021年)の年輪年代法による調査で、天正13年(1585年)から天正18年(1590年)にかけて、一重から三重までが一連で建造され、元和 6年(1620年)に唐破風や周縁が付設されたことが明らかになり、現存天守では最古であることが判明した。
江戸時代以前に建造された天守が残る現存12天守の一つで、国宝に指定されている(天守が国宝に指定されている 5城のうちの一つ)。
主な遺構は、天守、堀、土塁、石垣など。
江戸時代以前から現存する天守は国宝に指定されている。18棟あった門のうち、松の丸表門、松の丸裏門、内田門、黒門、矢来門などは、明治政府の廃城令で取り壊されたが犬山市内外に移築され現存している。
再建整備された建造物は、本丸入口に本丸鉄門(ほんまるくろがねもん)が模擬的に再建された。
別名は、城の佇まいを中国長江三峡に築かれている白帝城にちなんで白帝城(はくていじょう)。
明治政府の廃城令で天守を除いて櫓、門などが取り壊された。明治24年(1891年)の濃尾地震で天守の東南角の付櫓が壊れたため、城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡され個人所有となった。平成16年(2004年)には公益財団法人「犬山城白帝文庫」の所有となった。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプは犬山城管理事務所に置かれている。
2015年8月6日訪問
天守だけしか残ってなく、しかも小振り... と思っていましたが最新の調査で現存天守では最古だと判明。よくよく調べてみると、別名が白帝城だったり、最近まで個人所有だったり、素晴らしい城跡だと思いました。