もともとは掛川城の東500mほどの所にあった掛川古城、戦国時代に駿河守護の今川氏親が近江支配の拠点として朝比奈泰熈に命じて北東の小高い丘に築かせたといわれている。
一時は徳川家康が支配していたが、全国を平定した豊臣秀吉により配置された山内一豊が、天正18年(1590年)、城下を整備し天守を建てるなど近世城郭へと改修した。江戸時代は譜代大名の居城になり栄えた。
城郭構造は平山城。
当初の天守は、安政元年(1854年)の東海大地震により損壊、再建されなかった。
現在の天守は望楼型三層四階。、山内一豊が転封した高知城と同じであったという記録をもとに、平成 6年(1994年)、日本初の木造復元天守として再建された。
現存する建造物は二の丸御殿、太鼓櫓、大手門番所。二の丸御殿は国の重要文化財に指定されている。
再建建造物は、木造で再建された天守、再建された大手門、四足門(よつあしもん)など。
別名は雲霧城(くもきりじょう)、松尾城など。
安政元年(1854年)の東海大地震により天守など多くの建物が損壊、再建されることなく明治維新を迎え、明治政府の廃城令により建物の一部を残して撤去され、道路や庁舎の建設で大半の遺構も撤去された。 現在、本丸一帯は掛川城公園として整備され一般公開されている。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2017年10月4日、2017年10月26日撮影。