小諸城は長享元年(1487年)、信濃守護の小笠原氏の流れをくむ大井光忠が築いた鍋蓋城(なべぶたじょう)が始まりといわれている。天文23年(1554年)には、佐久地方を制圧した武田晴信(後の信玄)が山本勘助らに命じて拡張整備した。豊臣政権成立後、天正19年(1591年)に小諸城に入った仙石秀久によて現在の規模に整えられた。
城郭構造は平山城。城は千曲川の河岸段丘に築かれ、城下町より低い位置にあり、日本で唯一の穴城(あなじろ)。
天守は三重の天守があったが、寛永 3年(1626年)の落雷で焼失。徳川幕府からの再建許可が下りず、再建されなかった。
現存する建造物は大手門、三の門。それぞれ国の重要文化財に指定されている。
別名は穴城(あなじろ)、酔月城(すいげつじょう)、白鶴城など。
小諸城は明治 6年(1873年)の廃城令により廃城処分となったが、旧小諸藩士が資金を集めて払い受け、本丸跡に神社を祀り、公園にした(懐古園と命名)。現在は市営公園小諸城址懐古園(こもろじょうし かいこえん)として整備され、公開されている。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2021年11月16日撮影。