肥後の領主であった加藤清正が千葉城や隈本城があった茶臼山一帯に熊本城築城に着手、慶長12年(1607年)に完成した。その後、細川忠利が入った。
城郭構造は梯郭式平山城。城跡は国の特別史跡に指定されている。
現在の天守は、連結式望楼型三重六階地下一階、昭和35年(1960年)、鉄筋コンクリート造りで再興、外観復元された。
現存建造物は、櫓11棟、門1棟、堀1棟、いずれも国の重要文化財に指定されている。
再建建造物は、外観復元された大小天守、平櫓、馬具櫓、木造復元された西大手門、数寄屋丸二階広間、南大手門、西出丸戌亥櫓、未申櫓、元太鼓櫓、飯田丸五階櫓、本丸御殿大広間など。
別名は、千葉城、隈本城、籠城にそなえ城内に銀杏をたくさん植えたことから銀杏城(ぎんなんじょう)など。
明治6年(1873年)の廃城令で軍用地として残す存城処分となり、陸軍の部隊が置かれたが、天守や本丸御殿など本丸主要部は保存された。その後、明治10年(1877年)の西南戦争で本丸の大部分が焼失。戦後になって、熊本市は一般からの寄付も募り天守、平櫓、塀などを再建、本丸一帯を公園として整備した。
平成28年(2016年)の熊本地震で、重要文化財13棟が全て損傷し、石垣は3割ほどが積み直しが必要な被害が出た。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2015年6月12日 撮影。