天正4年(1576年)、織田信長の家臣で越前ほぼ一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊による築城がはじまり。
城郭構造は連郭式平山城。かつては五角形の広い内濠に囲まれた中に本丸や二の丸があった。
現在の天守は独立式望楼型二重三階。江戸時代以前に建造された天守が残る現存12天守の一つ。
現存する天守は国の重要文化財に指定されている。北陸地方で唯一の現存天守で、現存する最古の天守とも云われているが、天守の構造分析から慶長18年(1613年ごろ)の建造という説もある。
かつては、五角形の広い内濠に囲まれた中に本丸や二の丸があったが、現在は天守と天守台石垣だけが残る。
別名は、合戦に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説から、霞ケ城(かすみがじょう)。
明治政府の廃城令で天守以外の建造物は取り壊されたが、天守は丸岡町により買い戻され取り壊しを免れた。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2015年5月7日撮影。