慶長 5年(1600年)、関ヶ原の戦いの功で出雲に入った横尾忠氏、旧領主尼子氏が築いた月山富田城(がっさんとだじょう)に入城したが、山城で不便であったことから末次城跡に松江城を築城し移った(月山冨田城は廃城になった)。その後、寛永11年(1634年)に入城した京極忠高が三の丸を造営し全容が出来あがった。
城郭構造は輪郭連郭複合式平山城。城跡は国の史跡に指定されている。
天守は附櫓を設けた複合式望楼型四重五階地下一階。江戸時代以前に建造された天守が残る現存12天守の一つ。山陰地方では唯一の現存天守で、国宝に指定されている(天守が国宝に指定されている 5城のうちの一つ)。
主な遺構は、天守、櫓、本丸、二の丸、石垣、堀など。
江戸時代以前から現存する天守は、1935年(昭和10年)に国宝に指定されていたが、昭和25年(1950年)に文化財保護法の制定により一旦は重要文化財とされた。その後、平成27年(2015年)に「慶長拾六年正月吉祥日」と記された祈祷札が見つかり、築城時期が特定できたことから、国宝に再指定された。
再建建造物は、昭和35年(1960年)に木造復元された本丸の一ノ門と南多聞の一部、平成 6年(1994年)に木造復元された廊下門と北惣門橋(きたそうもんばし)、平成12年(2000年)に木造復元された南櫓と塀の一部、平成13年(2001年)に木造復元された中櫓、太鼓櫓と塀の一部など。
別名は、三角形をした千鳥破風の雄姿にちなんで、千鳥城(ちどりじょう)。
明治政府の廃城令で建造物は売却され全て撤去されたが、天守だけは地元の有志により買い戻され、解体を免れた。昭和 2年(1927年)天守を含む城跡は松江市に寄贈され公園として開放された。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプは天守受付に置かれている。
2015年8月5日訪問