江戸幕府は外国船の出没に備え津軽海峡の警備強化を図るため嘉永2年(1849年)、松前藩に築城命じ、5年がかりで福山館(ふくやまだて)の修築を重ね、安政元年(1854年)に完成した。当時は新しい城を造ることが全国的に禁止されていたため、松前城の築城は極めて異例であった。北海道における唯一の日本式城郭であり、日本最後の日本式城郭である。
松前城は本丸、二の丸、三の丸からなり、本丸東南隅には三層の天守が築かれた。楼櫓6、城門16を備え、三の丸には海に向けて7基の砲台が置かれていた。
天守は独立式層塔型三重三階。天守や櫓、門の屋根には、寒さで凍み割れやすい粘土瓦のかわりに銅板を葺いた。
城郭構造は平山城。城跡は国の史跡に指定されている。
現在の天守は独立式層塔型三重三階、昭和36年(1961年)に鉄筋コンクリート造りで再建、外観は焼失前の姿を忠実に復元した。
現存する建造物は本丸御門、本丸表御殿玄関の2棟。本丸御門は国の重要文化財に指定されている。
再建建造物は、平成12年(2000年)に外堀に架かる木橋と石橋、搦手口には高麗門形式の搦手二ノ門が再建された。平成14年(2002年)には天神坂門が再建された。
別名は福山城。
戊辰戦争では、土方歳三らの旧幕府軍に背後から攻められ落城した。
天守は戊辰戦争で落城したものの取り壊されず、先の大戦でも空襲での焼失を免れたが、昭和24年(1949年)に城内にあった松前町役場からの出火でを焼失した。
松前城と寺町、松前藩屋敷を含む周辺は松前公園として整備されている。公園には松前町発祥の桜を含め1万本の桜が植えられ、日本さくら名所100選に選定されている。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2019年5月28日撮影。