城郭構造は輪郭式平山城。城跡は茨城県の史跡に、三の丸にある藩校弘道館は国の特別史跡に指定されている。
天守は江戸幕府にはばかり建造されず、御三階櫓(三層五階)を建造し天守の代用とした。御三階櫓は明和元年(1764年)の火災で焼失、その後再建されたものの昭和20年(1945年)の空襲で焼失した。
遺構としては、土塁や堀、本丸跡(茨城県立水戸第一高等学校敷地)に移築された薬医門(やくいもん)、三の丸に建造された藩校弘道館が現存する。
薬医門=2本の主柱(鏡柱)と後方に控柱を設け、一つの切妻屋根を乗せた門。屋根の棟の位置が両柱の中間より前面に寄せられるため、正面の軒が深く風格のある門構えとなる。城門にふさわしいの門作りの一つ。
再建建造物は、令和2年(2020年)に木造で再建された大手門、令和3年(2021年)に当時と同じ場所に再建された二の丸角櫓。
別名は馬場城、水府城。
明治政府の廃城令で、軍用地として残す存城処分となり陸軍が使用することになり、三の丸や外曲輪の建物が取り壊された。
明治期に二の丸と三の丸の間の堀は道路用地(県道232号市毛水戸線)、本丸と二の丸の間の堀は鉄道用地(JR水郡線)になった。
二の丸跡は城址公園風に整備され一般公開されている。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
2024年10月14日訪問
広大な空堀に県道やJR線が走り城跡が分断され残念に思っていましたが、県立高校や市立小中学校などが並び、素晴らしい文教地区として再生されていました・・・こうした城跡の利用もありか、と考えさせられました。