陸奥国(むつのくに)の武将であり盛岡藩の藩祖である南部信直(なんぶのりなお)、利直(としなお)父子が、北上川と中津川の合流地点に40年の歳月をかけ築城した盛岡城。明治維新まで南部氏の居城として続いた。
東北地方にはめずらしい総石垣造りの城で、盛岡産の大きな花崗岩が特徴。石垣の見事さにより会津若松城と白河小峰城とともに東北の石垣造りの三大名城のひとつにあげられている。
城郭構造は連郭式平山城。城跡は国の史跡に指定されている。
天守は幕府への遠慮から建てず、本丸南隅に建てた三重の御三階櫓を代用とした。幕府の力が弱まった天保13年(1842年)、御三階櫓を天守と呼ぶようになった。その後、明治政府の廃城令で取り壊された(石垣と天守台跡のみが残る)。
主な遺構は、本丸、二の丸、三の丸、淡路丸、腰曲輪、榊山曲輪、石垣、堀、彦御蔵など。
白い花崗岩で組まれた石垣は高い所では高さ14m。二の丸と三の丸の間の空堀に架けられている橋は、もともとは屋根が付いていた廊下橋であった。
建造物としては、城内に移築された土蔵彦御蔵(ひこおくら)が残されている。
別名は、当時の地名から不来方城(こずかたじょう)。
明治政府の廃城令で、ほとんどの建物が解体移築された。その後、陸軍用地となった土地の建物を除いて、旧藩主南部家に払い下げられた。明治39年(1906年)、岩手県に貸与され「岩手公園」として整備され一般公開された。平成元年(1989年)日本都市公園100選に選定された。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプはプラザおでって2階、観光情報プラザ、もりおか歴史文化館に置かれている。
2026年9月2日訪問
入口や順路が分かりにくかったが、駅チカなので市民の憩いの場としてはいい所だと思いました。