永正 5年(1508年)、菅沼元成が築城したのが始まり。その後、菅沼氏は武田氏の支配下にはいったが、徳川家康が城を奪い大改築した。天正 3年(1575年)、家康の家臣奥平貞昌が城主の時、武田勝頼軍に城を包囲され落城寸前まで攻められたが、織田・徳川連合軍がかけつけ城を死守した。天正 4年(1576年)奥平信昌が新城城を築き、長篠城は廃城になった。長篠の戦でほとんどが消失、現在に残る本丸の大規模な土塁などはこの時のものと考えられている。
長篠城は、宇連川(うれがわ)と寒狭谷(かんさがわ)の合流点の断崖上に築かれた。断崖が天然の要害になっている。
城郭構造は平城。城跡の一部が国の史跡に指定されている。
遺構としては、曲輪、土塁、堀などが残されている。当時の建造物はなく、再建建造物もない。
設楽原古戦場跡(したらがはらこせんじようあと)には、織田・徳川連合軍と武田軍の戦いに用いられた馬防柵(ばぼさく)の一部が再現されている。
別名は、末広城、扇城。
長篠城の城跡には「長篠城址史跡保存館」が建ち、歴史や資料が公開されている。また、古戦場跡近くには「設楽原歴史資料館」が建ち当時の戦いが紹介されている。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプは長篠城址史跡保存館の前に置かれている。
2024年11月24日訪問
広大な山中で戦った戦国時代の戦跡をめぐってみて、こんな時代があったんだ.....、と感慨深いものがありました。それにしても城跡が線路や道路で分断されているところが多いのにはびっくり。明治の時代はそんなものだったのか?
長篠城駅前にはコンビニや飲み物の自販機がありませんので、要注意! 長篠城址史跡保存館には自販機がありました。