駿河今川氏が戦国時代に築城したのがはじまり。その後、関ヶ原の戦いを制した徳川家康が旧城跡を拡大して築城を命じ、加藤清正をはじめとする西国の大名20家が築城にかかわった。
城郭構造は梯郭式平城。城跡は国の特別史跡に指定されている。
創建当時の天守は、昭和20年(1945年)、アメリカ軍の空襲で焼失。現在の天守は連結式層塔型五重七階地下一階、昭和34年(1959年)、コンクリート造りで復興、外観復元された。
主な遺構は、隅櫓、門、本丸、二の丸、御深井戸、西の丸、二の丸庭園、石垣、堀など。
江戸時代以前から現存する隅櫓3棟(東南隅櫓、西南隅櫓、西北隅櫓)、門3棟(表二之門、旧二之丸東二之門、二之丸大手二之門)は国の重要文化財に指定されている。
再建整備された建造物は、一部が公開されている木造復元された本丸御殿。
別名は、天守の屋根に金の鯱(ちゃちほこ)が載せられているので金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)、金城(きんじょう)など。
明治政府の廃城令で、陸軍の部隊が置かれたが、特例措置で天守は本丸御殿とともに保存された。その後、城跡は名古屋離宮となり名古屋市に下賜され、恩賜元離宮として市民に一般公開された。昭和20年(1945年)の空襲まではほぼ全容を残していたが、空襲で天守をはじめ多くを焼失した。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプは正門改札所、東門改札所、総合案内所に置かれている。
2015年8月6日、2016年10月6日訪問