二本松城の築城は、畠山満泰が応永21年(1414年)に塩沢の田地ケ岡よりこの白旗ケ峯に居を移し、二本松城と号したのがはじまり。天正14年(1586年)に伊達政宗が畠山氏を滅ぼし二本松城は伊達の支城となった。豊臣秀吉の奥州仕置以後は蒲生、上杉の支城として城代が置かれた。その後、寛永20年(1643年)に丹羽光重が城内の石垣等の修築を行うとともに城下町整備し、二本松藩の居城とした。
城郭構造は梯郭式平山城。城跡は国の史跡に指定されている。
天守は、天守台は築かれたものの天守が築かれた記録はないとされているが、ウィキペディア(Wikipedia)によると「寛永20年(1643年)に丹羽光重が城内の石垣等の修築した際、本丸に石垣が積まれ、三重の天守が築かれた」とされている。
主な遺構は、本丸、三の丸、石垣、屋敷跡、蔵址、井戸跡など。
再建整備された建造物は、昭和57年(1982年)にコンクリート造りで再建された箕輪門(みのわもん)と附櫓、平成5年(1993年)から平成7年(1995年)にかけて修復整備された天守台や本丸石垣。
別名は霞ケ城、白旗城。
幕末の戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わり、新政府軍に攻められ落城、建物は大半が焼失した。 明治政府の廃城令で、残る建造物はすべて取り壊された。その後、霞ヶ城公園として整備され、日本さくら名所100選に選定された。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプは二本松市歴史資料館、JR二本松駅観光案内所に置かれている。
2019年4月17日訪問