飫肥城は戦国時代初期に築城されたと推定され、100年に渡り伊東氏と島津氏とで領有が争われた。 初代藩主は伊東祐兵、豊臣秀吉より九州征伐の功績により、日向国が与えられた。 関ヶ原の戦いでは東軍に付き所領安堵、その後は明治まで14代 280年間 伊東氏が日向国を治めた。
城郭構造はシラス台地の地形を利用して曲輪を幾つも並べた群郭式平山城。城跡は日南市の史跡に指定されている。
天守は建てられなかった。
遺構としては、石垣、土塁、堀などが残る。
再建建造物は、御殿、大手門、土塀など。大手門は昭和53年(1978年)に再建された。
別名は久松城(ひさまつじょう)、葦陽城(いようじょう)。
明治時代の廃城令で廃城となり、本丸跡には飫肥小学校(藩校の振徳堂が前身)が建てられ、城内には御殿を模した歴史資料館が建てられた。
飫肥城下町は、昭和52年(1977年)、九州沖縄地方では初の国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、城下町時代の道路や地割が良好に保存され、石垣、土塀、生垣で囲まれた武家屋敷跡が残る。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2023年12月23日 撮影。