現在に残る高石垣を多用した近世城郭になったのは、文禄 3年(1594年)、中川秀成が入ってから。本丸を中心に二の丸、三の丸、西の丸がおかれ、高石垣が巡らされた。
岡城を形成する断崖絶壁は、阿蘇山の噴火で流れ出た阿蘇溶結凝灰岩の岩盤を河川が削ることによって生み出された。
城郭構造は梯郭式山城。城跡は国の史跡に指定されている。
本丸には本丸御殿が建てられ、天守に相当する御三階櫓、角櫓、 多門櫓、金倉などが配置されていたが、明和 8年(1771年)の火災でそのほとんどが焼失。安永 3年(1774年)に御三階櫓が再建されていた。
現存建建造物、再建建造物はない。
遺構は石垣、大手門跡、中川覚左衛門屋敷跡、太鼓櫓跡など。
別名は、臥牛城(がぎゅうじょう)、豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)。
明治政府の廃城令によって廃城とされ、明治 4年(1871年)から翌年にかけて城内の建造物は全て破却された。現在残っているのは高く積み上げられた石垣だけ。
平成2年(1990年)には日本さくら名所100選に選定された。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2023年12月22日 撮影。