朝鮮半島で起こった白村江の戦いで敗れた大和朝廷が約1300年前、九州に築いた砦のうちの一つ、大宰府の北側の守りとして大野山に築かれ。山の尾根に土塁を巡らし、谷を石塁(せきるい=石だけを積み上げたもの)で塞ぎ、城壁を築いている。
百済からの渡来人の指導でつくられた古代朝鮮式山城で、日本一の規模をほこる古代山城(こだいさんじょう)である。山頂を中心に馬蹄形状の尾根から谷を廻る土塁と石塁の外周城壁は約 8Km、南側と北側の土塁は二重となり防備を固めている。
城郭構造は古代山城。城跡は国の特別史跡に指定されている。
城門は太宰府口城門など 9か所。谷部では、浸透式で自然排水の百間石垣、水ノ手石垣、水口のある屯水石垣などが確認されている。建物は残されていない。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2023年12月20日 撮影。