元和 2年(1616年)有馬直純に代わって松倉重政が日野江城に入城、元和 4年(1618年)日野江城が手狭だったので島原城の築城を開始。三重櫓3基、二重櫓10基、平櫓38基を配す石高に見合わない築城だったことから、築城のための課役、キリシタン弾圧、過酷な年貢などが要因で農民たちが「天草・島原の一揆」を起こした。一揆を押さえられなかった責任をとらされ松倉氏は断絶。その後、高力氏、松平氏などが入った。
城郭構造は連郭式平城。城跡は長崎県の史跡に指定されている。
築城当時の天守は独立式層塔型四重五階。現在の天守は独立式層塔型五重五階、昭和39年(1964年)に鉄筋コンクリート造で再興された。
現存建造物は、 御馬見所(おんうまみしょ)が城内に移築され現存、搦手門であった諫早門の門扉が丑寅櫓の中で展示されている。また、二の丸御門が雲仙市小浜町の歴史資料館に、三の丸にあった御茶屋常磐御殿が本光寺常盤歴史資料館に移築されている。
遺構 石垣、堀など。
再建建造物は、昭和35年(1960年)に西櫓が、昭和39年(1964年)に天守が、昭和47年(1972年)に巽櫓が、昭和55年(1980年)に丑寅櫓が、いずれも鉄筋コンクリート造で再興された。
別名は森岳城、高来城。
明治政府の廃城令により廃城処分となり、民間に払い下げられ建物などは撤去された。 現在は本丸に天守、櫓、長塀などが鉄筋コンクリート造で再興され、城跡公園となっている
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2023年12月21日 撮影。