古くは南北朝期に白河結城氏が築城したことが始まりとされ、白河地区の戦国大名となったが、秀吉により改易。蒲生氏、上杉氏を経て、江戸初期に丹羽長重が城主となり城を大改修、現在に残る巨大な石垣を持つ姿を完成させた。丹羽氏が二本松に転封された後は譜代大名や親藩大名が封じられ、寛政の改革を推進した松平定信が水利開発をかねて造った回遊式庭園(現在の南湖公園)は士農工商の四民に開放したことから日本最古の公園といわれている。
総石垣造りの城で、盛岡城、会津若松城とともに「東北の石垣造り三名城」のひとつに数えられている。
城郭構造は梯郭式平山城。城跡は国の史跡に指定されている。
当初の天守は、一国一城令以後の築城のため建造できず、寛永9年(1632年)天守の代用として御三階櫓(複合式層塔型三重三階)が建造された。幕末の戊辰戦争(白河口の戦い)で焼失。
現在の天守(三重櫓)は、平成3年(1991年)、当時の史料に基づき木造復元された。三重天守とも呼ばれている。
再建建造物は、木造復元された天守(三重櫓)と前御門(まえごもん)の2棟。三重櫓は木造復元された城郭建築のうち、天守に相当する建物の復元では最初のもので、木造復元天守の一つに数えられる。
別名は小峰城、白河城(市内に白川城址があるためあまり使われていない)。
幕末の戊辰戦争における白河口の戦いでは奥羽越列藩同盟に加わり、新政府軍に攻められ建物の全てを焼失。明治政府の廃城令では曲輪、土塁、石垣、水堀を残すのみとなった。
その後、白河市は昭和62年(1987年)、市政40周年を記念し建物の再建を計画、平成3年(1991年)に三重櫓を、平成6年(1994年)に前御門を木造で復元し、お城の復元ブームの先駆けとなった。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2019年4月16日撮影。