沖縄では12世紀後半に、各地で按司(あじ=武将)がグスクを築いて割拠する対立の時代になった。13世紀ごろからは城(ぐすく)を構えていた按司を束ねる強力な王が現れ、14世紀には 3つの国(南部の南山、中部の中山、北部の北山)が並立する三山時代になった。その後、中山の尚氏が1416年に北山を、1429年に南山を攻め滅ぼし統一、琉球王国を打ち立て、首里城が王城となった。
城郭構造は山城。城跡は国の史跡に指定されている。
縄張りは外郭と内郭からなる輪郭式で、東西約400m、南北約200mの広さがあり、周囲は琉球石灰岩で積み上げられた城壁で囲われている。
内郭は御庭(うーなー)を中心とした行政空間、京の内(きょうのうち)という祭祀空間、御内原(おうちばら)という居住空間から成り立っており、外郭は内郭の東側を包み込む地域からなっている。城外に面する城壁には4つの門(歓会門、久慶門、継世門、木曳門)が設けられている。
首里城は他のグスク同様、政治の中心であると同時に、信仰の中心でもあった。
再建建造物は、昭和33年(1958年)に守礼門、昭和49年(1974年)に歓会門、平成4年~10年(1992年~1998年)に正殿、奉神門、南殿・番所、北殿、瑞泉門、漏刻門、広福門など。
別名は御城(うぐしく)。
平成12年(2000年)、「 琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する資産の一つとして世界遺産に登録された。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。
写真は2017年2月6日撮影。