美作国の守護大名であった山名教清が、一族の山名忠政に現在の津山城のある丘陵(鶴山)に鶴山城を築かせたのがはじまり。応仁の乱で山名氏は衰退し廃城となった。
その後、元和 2年(1616年)、関ヶ原の戦いの戦功により入った森忠政が13年の歳月をかけ近世城郭を完成させた。吉井川と宮川の合流点を望む小高い山を利用、山頂を削って本丸とした。地名を「鶴山」から「津山」に改めた。
城郭構造は平山城。日本三大平山城のひとつ。城跡は平山城の典型として国の史跡に指定された。
慶長20年(1615年) に建てられた天守は層塔型五重五階地下一階(南側に六番門(櫓門)を付属させる複合式平面の天守)、天守へは東側の穴蔵入り口から出入りする構造であった。五重の天守だったが、その四重目の屋根を板葺き屋根にして四重天守に見せる工夫がなされたと伝えられている。
本丸と二の丸には御殿が置かれ、????建物は本丸に31棟、二の丸に12棟、三の丸に17棟、門は本丸に15基、二の丸に 7基、三の丸に11基築き、津山城内には、外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟を凌ぐ77棟の櫓が建ち並んでいた。
主な遺構は、本丸、二の丸、三の丸、石垣など。
江戸時代以前から現存する建築物はない。
再建整備された建造物は、平成18年(2006年)に木造復元された備中櫓(びっちゅうやぐら)と土塀がある。
別名は鶴山城(かくざんじょう)。
明治政府の廃城令で天守をはじめ櫓、門、土塀などが取り壊され、石垣や建物の礎石だけとなった。
その後、津山城跡は県有地となり、明治32年(1899年)には公園にするという条件で津山町に払い下げられ、城跡の公園化が進められた。
現在は鶴山公園(かくざんこうえん)として一般公開されている。日本さくら名所100選に選ばれている。
平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプは備中櫓受付に置かれている。
2025年12月3日訪問