概 要

戦国末期、小田原北条氏が西方に対する防備の要塞として築いた山城。尾根筋を巧みに利用して曲輪を配し、街道を城域に取り込んでいた。北条氏滅亡と共に廃城となったため、北条氏独特の城郭の構造を多く残している。
山田川や来光川の源流に挟まれ、急峻な斜面に囲まれた自然の要害の地に築かれた山城。標高580m、城の範囲は東西500m、南北1,000mに及ぶ。


城郭構造は山城。城跡は国の史跡に指定されている。

遺構としては、橋、堀、土塁、曲輪などが残されている。当時の建造物は現存せず、再建された建造物もない。

昭和48年(1973年)からの発掘調査によって、曲輪の周囲に巡らされた堀や土塁、堀の上に架かっていた木橋や門柱などが確認された。後北条氏の城に特徴的な「畝堀」や「障子堀」は、堀の中に土手状の畝を掘り残して区画し、上から見ると田畑の畝や障子のように見える。現在は型くずれ防止のために芝生が張られているが、もともとはローム層(赤土)が露出し、滑りやすく、登り難い造りだった。


石を使わない土だけの山城は全国的にも珍しく、400年前の遺構がそのまま復元されていることから、三島市は、昭和56年(1981年)から、山中城跡を市制40周年に合わせて史跡公園として整備し一般開放している。

平成18年(2006年)、日本100名城に選定された。日本100名城スタンプは山中城跡売店前に置かれている。


2024年11月13日訪問
建物が残っていない山城、でも三島市は史跡として見事に整備し公開している。どこでも城跡は地域の宝物になっていいる.....と感じました。

アクセス

静岡県三島市山中新田字下ノ沢ほか
JR線・三島駅南口~東海バス(元箱根港行き)で30分~山中城跡下車すぐ

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