平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群(ひらいずみ-ぶっこくど(じょうど)をあらわすけんちく・ていえんおよびこうこがくてきいせきぐん)、
などが評価され、2011年、文化遺産に登録された。
構成資産は次の5資産。
登録地域の面積は、構成資産 176.2ヘクタール、それを保護する緩衝地帯 6,008ヘクタール。
なお、2012年、上記5資産に加え他の文化遺産についても拡張登録をめざすことが決定、暫定リストに記載された。拡張登録をめざす文化遺産は、
11世紀後半、東北地方(陸奥の国)の支配をめぐって戦われた前九年合戦、後三年合戦を生き延びた奥州藤原氏初代清衡(きよひら)は、豊田館(現奥州市江刺区)から平泉に館を移し、平和で平等な理想郷「この世の浄土・平泉」をめざした。平泉には、初代清衡の精神を引き継いだ二代基衡(もとひら)、三代秀衡(ひでひら)らによる平安時代末期から100年にわたり建造された仏教寺院や浄土庭園が残されている。
そのうち中尊寺金色堂が国宝に、中尊寺経蔵、中尊寺旧覆堂が国の重要文化財に指定されている。また中尊寺境内、毛越寺境内、無量光院跡は国の特別史跡に、金鶏山は国の史跡に、毛越寺庭園は国の特別名勝に、観自在王院跡は国の名勝に指定されている。
藤原清衡は自ら悲惨な戦の体験から、天治3年(1126年)中尊寺の落慶供養に際し「戦いに倒れた人々の魂が敵味方なく浄土へ往生することを願い、仏の教えにより現世に仏国土(浄土)を実現するため大伽藍を建立した」旨の中尊寺建立供養願文(ちゅうそんじこんりゅうくようがんもん)を読み上げた。朝廷からの介入をいさめ、平泉に戦のない理想郷を築く決意を表明したものといえる。
極楽浄土信仰
6世紀から12世紀にかけて発展を遂げた日本独特の仏教(阿弥陀如来の極楽浄土信仰)では、死後に阿弥陀仏の住む西方極楽浄土への往生とともに、現世に究極の仏の理想世界である仏国土(仏の世界である清浄化された浄土)を実現できるとされた。
ユネスコ憲章(前文)には第二次世界大戦の苦い教訓から、戦争を繰り返さないため「戦争は人の心の中に生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と記されている。藤原清衡の理想は、ユネスコの平和を希求する精神と合致し、平泉の文化遺産が世界遺産に登録されることによって現代によみがえった。平泉の文化遺産が「平和な世界」の実現に寄与することを願わずにはいられない。
平泉の文化遺産を世界遺産へ(岩手県教育委員会)
平泉 - 光と水の浄土 - 平泉文化遺産センター常設展示図録(岩手県平泉町)
ときめき平泉の文化遺産(岩手県平泉町)
JR東北新幹線・一ノ関駅~JR東北本線・平泉駅~徒歩(あるいは 平泉町巡回バスるんるん)