石見銀山遺跡とその文化的景観(いわみぎんざんいせきとそのぶんかてきけいかん)、
などが評価され、2007年、文化遺産に登録された。
構成資産は島根県のほぼ中央に点在する次の14資産。
銀鉱山跡と鉱山町登録地域の面積は、構成資産 529.17ヘクタール、それを保護する緩衝地帯 3,134ヘクタール。
石見銀山では、16世紀~17世紀に大量の銀が採掘された。特に、17世紀前半の全盛期には年間約1万貫(約38トン)と推定され、世界の産出銀の3分の1を占めた日本銀のかなりの部分を産出していた。
世界遺産に登録されている鉱山遺跡は、欧州や中南米に15箇所あるが、アジアにはなく、アジアで初めての登録となった。また、産業遺産は18世紀末の産業革命以降の遺跡が多いなか、産業革命前の鉱山遺跡としては稀有の遺産といえる。
大森地区(鉱山町の北部)は、江戸幕府が代官所を大森町に移設したことから代官所周辺に役所や御用商人の郷宿(ごうやど)が置かれ、武家屋敷や商家が混在した町並みが残されている。代官所ゾーン~武家・町屋ゾーンは、約800m 片道徒歩20分=散策マップはこちらから。
銀山地区(鉱山町の南部)は、江戸時代に鉱山を囲った柵の内側にあり、街路に沿って精錬所や居住地、寺院、神社がなどが残されている。銀山ゾーンは、約2.3km 片道徒歩45分=散策マップはこちらから。
銀鉱山を厳重な管理下に置くため、江戸時代初期に鉱山の周囲約 8kmにわたって柵をめぐらし、要所である出入り口には番所を設けていた(面積は 320haほど)。採掘から精錬に至るまでの銀の生産活動が一貫して行われた仙ノ山と要害山の山麓を中心にした地域と鉱山町の銀山地区が柵で囲われていた。→構成資産の所在場所参照
銀山柵内には、16世紀から20世紀に至るまでの銀鉱石の採掘跡、精錬作業場跡、集落跡、社寺跡、役所跡などが残されている。
600余りの間歩(まぶ)が確認されている
石見銀山には 600余りの間歩(銀を採掘する坑道)が確認されている。公開されている龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)や限定公開の大久保間歩(おおくぼまぶ)は大規模な坑道だが、大半の坑道は抗口が縦90cm、横60cmほどの小規模だった。
平均寿命は30歳ほど
間歩に残されているノミの跡は命を削った跡、粉塵を吸い、灯りをともす菜種油の油煙を吸い、酸素が乏しい高湿度という環境での重労働のため、銀山で働く人の平均寿命は30歳ほどだった。
石見銀山では、環境に配慮し人と自然が共生しながら銀生産を実現させたこと、が評価されての登録だけあって、登録後もパーク&ライド(観光車両の侵入禁止)の実施、ボランティアガイドの活躍、住民憲章を作っての住民の努力など、自然環境や住民生活を守る努力がなされている。石見銀山遺跡が、世界遺産のあり方のさきがけになることが期待される。
石見銀山大森町住民憲章(2007年8月制定)
このまちには暮らしがあります。私たちの暮らしがあるからこそ世界に誇れる良いまちなのです。私たちは、このまちで暮らしながら、人との絆と石見銀山を未来に引き継ぎます。未来に向かって私たちは、
・歴史と遺跡、そして自然を守ります。
・安心して暮らせる住みよい町にします。
・おだやかさと賑わいを両立させます。
JR山陰本線・大田市駅~(バス)~大森代官所跡~世界遺産センター(石見銀山バスマップ)
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