北海道・北東北の縄文遺跡群(ほっかいどう・きたとうほくのじょうもんいせきぐん)、
構成資産は、縄文時代の各時期(草創期、早期、前期、中期、後期、晩期)における人々の生活跡の実態を示す遺跡(集落跡、貝塚、低湿地遺跡)や、祭祀や精神的活動の実態を示す記念物(環状列石、周堤墓)など次の17遺跡。
北海道(6)登録地域の面積は、構成資産 141.9ヘクタール、それを保護する緩衝地帯 984.8ヘクタール。
北海道・北東北の縄文遺跡群は、世界の他地域における農耕や牧畜を基盤とした同時期の遺跡とは異なり、温暖湿潤な環境のもと 1万年以上にわたり狩猟・採集・漁労をなりわいとして定住生活をしてきた遺跡群である。
また、北海道南部と北東北では、津軽海峡を挟みながらも縄文時代前期から中期にかけての円筒土器文化、後期の十腰内文化、晩期の亀ヶ岡文化など、縄文文化全般を通じて同一の文化圏(津軽海峡文化圏)が形成されていた。
遺跡とは、過去の人間の生活の痕跡が残っている場所のこと。遺跡の中で発見されたもののうち、動かすことが出来ない工作物や建築物、土木構造物、施設の痕跡などを「遺構」、動かすことができるものを「遺物」という。
遺跡の地上にある建造物は、発掘(はっくつ)調査などを基に、推測して復元したもの。地下に保存されてる「遺構」の部分が本物で、これが世界遺産に登録されている。
ほぼ1万3000年前に始まり1万年以上続いた縄文時代、氷河期が終わり温暖な気候になるにつれ、土器の使用が始まり定住化が進み、ムラや貝塚が出現した。特に縄文時代前期~中期は、気温は2℃ほど高く温暖で、海面は4~5m高かったと考えられている。世界に先駆けて生みだされた土器は黒褐色をした厚手の土器で、表面に縄を転がして文様(縄文)が付けられていた。
世界史では中石器時代ないし新石器時代に相当する時代。海外では、黄河流域には黄河(中国)文明、インダス川流域にはインダス文明、ナイル川流域にはエジプト文明、ティグリス・ユーフラテス川流域にはメソポタミア文明が生まれている。
縄文時代の文化(縄文文化)は、森や海、河川の豊かな資源を利用するための技術や道具類も飛躍的に発達、石鏃(せきぞく=矢じり)や石匙(いしざし=刃物)などを生み出した。これらの多くは素材を変えながら現代においても使用され、我が国のさまざまな産業の発展の礎を築いたものといえる。
縄文人は現代人の直接の祖先、現代生活の中には、その起源を縄文時代にまで遡って考えることができるものがある。縄文人の平均身長は男性約157cm、女性は約10cm程小柄。縄文人は現代人の直接の祖先と考えられる。
一般的には「貝殻や獣や魚の骨など食料の残滓、破損した土器や石器などの道具類、焼土や灰などが一緒に捨てられている場」とされていたが、北黄金貝塚は貝殻や動物の骨などと共に人の墓が確認されていることから、すべての生き物の墓地であり感謝と祈りをささげる場所だったと考えられている。
100基以上の配石遺構の集合体で外帯、内帯とよばれる二重の環状列石で構成されている。外帯と内帯の間には「日時計状組石」が置かれている。配石遺構は「配石墓」、環状列石は「集合墓」であり、葬送儀礼や自然に対する畏敬の念を表す儀式を行った「祭祀施設」であったと考えられている。
JR室蘭本線・伊達紋別駅~バス~北黄金貝塚
JR東北新幹線・新青森駅~バス~三内丸山遺跡
JR花輪線・鹿角花輪駅~バス~大湯環状列石 など