琉球王国のグスク及び関連遺産群(りゅうきゅうおうこくのぐすくおよびかんれんいさんぐん)、
などが評価され、2000年、文化遺産に登録された。
構成資産は沖縄県に点在する次の9資産。
登録地域の面積は、構成資産 54.9ヘクタール、それを保護する緩衝地帯 559.7ヘクタール。
グスクとは、 古琉球(ぐすく)時代の遺跡のことで、一般的には城(しろ)と訳されている。しかし、グスクの領域は全てが城ではなく、御嶽(うたき=聖地、拝所)の領域として拝所があり、多くの参拝者が訪れていた。
グスクの城壁は、琉球石灰岩を互いに削りながら曲線を描くように積まれていて、本土の城に見られるような直線ではない。地形にそった美しい曲線を描いているのは、豊かさの象徴のようにも思える。
またグスクの城壁が築かれたのは、本土の城壁が築かれた時期より100~200年も前であり、琉球王国と交易のあった中国大陸の明(みん)との文化的な交流が伺える。
琉球王国は、1429年の成立から琉球処分で沖縄県になるまでの450年にわたって中国、日本、朝鮮、東南アジア諸国との平和外交と交易で栄え、平和で豊かな国を築いてきた。
しかし、1609年に薩摩藩によって征服されて以降は、1879年(明治12年)に琉球処分で沖縄県とされ、戦時中は日本の捨石として地上戦の戦場にされ、戦後はアメリカ軍基地がひしめく基地の島になるという辛酸をなめさせられている。沖縄が、再び、平和で豊かな島になることを願ってやまない。
グスクに建てられていた建造物は先の沖縄戦ですべて全壊してしまった。ただ首里城に限っては、平成4年(1992年)、正殿を中心とする建築物群が再建された。
しかしそれらの建築物群は、再建建造物のため文化財としての価値が認められず世界遺産には登録されていなかった。首里城跡で世界遺産に登録されているのは、城壁の石垣と正殿の地下遺構である基壇(きだん=中国からもたらされた建造物を支える石積みの土台)だけ。
首里城跡で再建されていた建造物群は、令和元年(2019年)の火災で正殿、北殿、南殿などが全焼してしまった。奉神門も半焼してしまった。したがって、このページに記載されている首里城のそれらの建造物の写真は、令和元年(2019年)の火災以前の写真になります。
なお首里城跡の建造物群は、もともと世界遺産には登録されていなかったので、今般の火災で失われても、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の価値が損なわれることにはなりません。
羽田空港~(飛行機2時間20分)~那覇空港~那覇バスターミナル~レンタカーあるいは路線バス(バスなび沖縄)