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ホーム > デジカメ日記 > デジカメ日記(2017年) | 前の年|次の年 |
日ごろ接したことを、デジカメ写真で絵日記風に綴っておきたいと思います。デジカメ技術が高度に普及したことから、撮影データの記載は終了させていただきます。撮影のワンポイントはできるだけ記載するようにします。 |
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今年も皇居前~東京駅のライトアップ撮影に出かけてきました まずはライトアップされた二重橋、今回は薄暮での撮影の挑戦してみました。太陽が沈んでもしばらくの間は空の色が残り、薄暮の雰囲気を出すことができました。 |
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皇居前広場からの東京駅方面を振り向くとビル群がきれいでしたので、おまけに撮影してみました。ここら辺は高さ規制があるのでしょうか、新宿のような超高層ビル群ではありませんでした。 | |||
そして東京駅前が整備された東京駅へ。プロジェクションマッピングとやらので大混雑、駅舎全体を撮影する場所では立ち止まることすらできませんでした。やむなく駅舎を見上げる場所で撮影・・・ ここでも三脚は使用禁止、手持ちで撮影しました。 | |||
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お城ブームなのでしょうか、日本のお城へのアクセスが急増しています。今回は二条城、広島城を撮影してきました。ついでにライトアップされた原爆ドームも。 | |||
広島へは何度も出かけていますが広島城は初めてでした。きれいに整備されている城内には、被爆の生き証人があちこちに佇んでいました。 | |||
被爆した石垣 爆心地から700mほどの広島城、建物はすべて倒壊し焼失してしまいましたが、石垣は茶褐色に変色しながらも現存しています。表面は高熱で溶かされたようでザラザラとしていました。 |
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生き残ったユーカリ 城内には、ユーカリ、マルバヤナギ、クロガネモチなどの被爆樹木が点在しています。写真の樹木は生き残った唯一のユーカリだそうです。 |
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広島大本営跡 明治27年の日清戦争の開戦に際し城内に設けられた大日本帝国軍の最高指揮権を持つ広島大本営、原爆により礎石だけになっていました。軍都となった広島は原爆で壊滅・・・戦争で得るものはなく、すべてが失われるだけです。 |
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ライトアップされた原爆ドーム ついでに、夕日をバックにした原爆ドームも撮影してみました。時々刻々と変わる夕日とともに原爆ドームも時々刻々とその表情を変えていました。 |
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ひさびさの阿波おどり、地元中の地元なのに、なかなか足が向きませんでしたが、今年はじっくり撮影させてもらいました。迫力ある鉦と太鼓に興奮しながら・・・・・楽しむことができました。 撮影はストロボを使わないので夕刻前後、昼間だと雰囲気が出ず、日が落ちると踊り子さんの顔が暗くなってしまうからです。 |
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さわやかにスタート、新橋連のみなさん! 神奈川大和阿波おどりは、大和駅近くの新橋通り商店会から始まりまったそうですが、新橋連はその後40年にわたり大和の阿波踊りをささえてきました。 |
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子供たちもスタート、大和建設綜合組合が母体となった大和建設連のみなさん!神奈川大和阿波おどり創設時からの連です。 神奈川大和阿波踊り振興協会に所属する連は16連→詳しくはこちらから |
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躍動!東京都大田区から参加の助六連、本場徳島の正調阿波踊りを追求している連のみなさんです。 今年全国から集合した友情連は29連→詳しくはこちらから |
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横浜市旭区から参加の嬉咲連(きさくれん)の皆さん。嬉しさを咲かす連の名にふさわしく、はなやかな雰囲気を楽しませてくれました。 | |||
おっさんも出番! 迫力のある鉦と太鼓に興奮してしまったのか? 沿道のおっさんもたまらず踊りだしました。 神奈川大和阿波おどりについては→神奈川大和阿波おどりの公式ホームページで |
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国立代々木競技場(丹下健三設計の第一体育館と第二体育館)を世界遺産に! 著名建築家や文化人らによって登録推進団体が結成され、再び五輪会場となる
2020年までの実現を目指すとのこと。 登録されるかどうかはさておき、とりあえず撮影しておくことにしました。いずれも吊り橋のように屋根をケーブルでつり下げたダイナミックな建物でした。 |
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第一体育館 建物の両端に立つ高さ40mの2本の主柱に結ばれたケーブルで屋根をつり下げ、内部には柱がないそうです。1964年東京五輪では水泳会場として使われました。収容人員は 13,245人。 |
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第二体育館 1本の主柱に結ばれたケーブルで屋根をつり下げ、内部には柱がないそうです。1964年東京五輪ではバスケットボール会場として使われました。カタツムリの殻のような形が印象的でした。右奥は第一体育館の屋根です。 |
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東京都新庁舎 丹下健三氏の作品は、広島平和記念資料館、香川県庁舎、倉敷市庁舎(現倉敷市立美術館)、東京都新庁舎、山梨文化会館、横浜美術館、フジテレビ本社ビル、東京プリンスホテルパークタワーなどがあります。 |
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サクラの撮影は「満開時に、晴天で、陽光が降りそそいでいること」という条件が必須で、今年も「サクラの撮影はむずかしい!」を実感しました。 この写真は、泉の森の遊歩道。曇りの日が続いたため、満開になった時の撮影ができず、花のボリュウム不足、さみしげな写真になってしまいました。 |
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この写真は、引地川沿いの桜川地区。 ほぼ満開で花のボリュウムは十分でしたが、あいにくの曇り空・・・・・、空を入れず、サクラの花を全面に配置してみましたが、落ち込んだ写真になってしまいました。 |
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この写真は、つきみ野にあるサクラの散歩道。 花の見ごろと陽光が降りそそぐ時間帯を事前に確認してから撮影にのぞんだので、しだれザクラと八重ザクラが見ごろで、青空があり、散歩を楽しむ人もいて・・・・・、これはいい写真になりました。 |
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2月23日は語呂合わせで「富士山の日」だそうで、「富士山の見える限界の地を求めて30年」という講演会がありました。そこで私の写真を見てもらったところ、283km 離れた地からの富士山だということが分かりました。 撮影地点がコンピューターで計算した富士山の見える地点で、すでに撮影した人がいたので記録になる写真ではありませんでした。が、講師の方からも、まわりの方からも素晴らしいと褒めてもらえました。 |
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この写真は、世界遺産に登録された奈良県山上が岳(標高1719m)山頂から標準レンズで撮影した「紀伊山地の夜明け」と題した風景写真です。 昨年写真展を開いた際、写真仲間から「富士山が写っている」といわれ、気になっていた写真です(富士山は○印のところにたまたま写っていた)。 |
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この写真はその富士山の部分をむりやり拡大した写真。 最西端は和歌山県色川富士見峠からの富士山で、323km 離れた所だそうですから、ほぼ限界からの撮影だったようです。富士山は日本人のこころの故郷、いつも元気をくれる山・・・・・ますます好きになってしまいました。 |
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北陸新幹線が開通して便利になった北陸へ。新高岡に連泊して、白川郷~五箇山と金沢城~兼六園を撮影してきました。白川郷~五箇山は大雪にみまわれ、ねらいどおりの撮影を楽しむことができました。 撮影した写真の一部は白川郷・五箇山の合掌造り集落にまとめました。 |
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一方、最終日は一転して晴天になり、雪の金沢城~兼六園の撮影はかないませんでした。写真は再建された橋爪門~橋爪門続櫓~五十間長屋、ぎらぎらした写真になってしまいましたが、金沢城の特徴である「なまこ壁」はみごとでした。 撮影した写真は日本の名城・金沢城にまとめました。 |
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金沢城に隣接する兼六園も晴天の兼六園になり、雪つりに雪が積もった光景は見られませんでした。唐崎松の雪つりはみごと、手前の霞ケ池は凍っていました。 白川郷~五箇山は山間部、金沢城~兼六園は沿岸部なので、同じ北陸といっても雪の量は大幅に違うようです。 |
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ユリカモメが渡来している下福田地域で、今日はノスリに出会うことができました。猛禽の一種で、全長54㎝ほど、鋭いクチバシをもち、顔つきは精悍でした。 図鑑には「低山の林で繁殖し、冬には河原や農耕地などでも見られる」とあり、下福田地域の農耕地にやって来たようです。写真は民家の屋根から飛び出すノスリ。 |
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お城でも四季折々の写真があった方がいい・・・との要望があり、雪の会津若松城へ。 しかし、今年は雪が少ないとかで雪はありませんでした・・・・・。が、一泊した翌朝になると、うっすらと雪が積もっていました。 |
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会津若松城は戊辰戦争で壊滅。その後すべてが取り壊されていましたが、天守は昭和40年(1965年)、鉄筋コンクリート造りで再興されていました。 | |||
午後になったら、太陽が出て青空に ・・・結果的にはラッキーな撮影旅行でした。天守の屋根瓦は、再興時は黒瓦だったそうですが、幕末時代の赤瓦(あかがわら)に葺き替えられていました。 撮影した写真は日本の名城・会津若松城にまとめました。 |
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今日は大和市消防出初式。 恒例の消防団部隊による一斉放水を撮影に出かけましたが、あいにくの曇り空。構図を変え、空を入れないようにしてみたものの、モノトーンになってしまいました・・・昨年の撮影はこちら。 |
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ついでに大和スタジアムに立ち寄ってみると、曇り空のもとでも元気に野球の試合が行われていました。 | |||
すべての樹木に名札! 最近の引地台公園は、樹木の根回りを柵で囲ったり、すべての樹木に名札を付けたり・・・自然を取り戻す取り組みがなされているようです。 |
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